2002W杯特集 【エンディング】

    6.ICHILAUのスポーツ博物学 サッカー編 『2002W杯における審判問題』

    7.『ワールドカップボランティア体験記』 きめら・にせん



     『2002W杯における審判問題』 ICHILAU


     日本全国を熱狂の渦に巻き込んだサッカーW杯は、6月30日、ブラジルの5度目の優勝をもって幕を閉じた。日本代表の活躍もあり、読者の方々でもサッカーとW杯に魅了された方は多かった事だろう。

     しかし、今回のW杯では、チケット問題や強豪国の早期敗退の原因となった選手のコンディション不良など問題点が白日の下にさらされる事となった。
     中でも私に強い印象を残したのは、韓国人が“奇跡”と呼んだ審判問題である。
     私は少なからずサッカーの試合を見てきたが、今回の韓国代表の試合は異常であった。

     まず、ポルトガル戦から。
     この試合、ポルトガルは2人の退場者を出したが、2人目の退場が腑に落ちない。ポルトガル代表・ベトのタックルが韓国選手に触れたかどうか微妙であり、韓国選手に対して、故意に倒れ審判を欺いた“シミュレーション”が宣告されてもおかしくない場面であったのに、審判は迷わず守備の反則を宣言し、ベトに2枚目のイエローカードを出して、退場にしてしまった。

     この“シミュレーション”は次のイタリア戦で脚光をあびた言葉である。この試合の延長戦で、敵陣ゴール前で相手ディフェンダーと接触して倒れたイタリア代表トッティに宣告された反則が、“シミュレーション”であったのは記憶に新しい所だ。

     またこのイタリア戦では、FKからのボールに対するヘディングの競り合いの中で、イタリア代表ディフェンダーの反則が取られ、PKが宣告された。だが、FKに対するヘディングの競り合いの中では、服を引っ張るなどの反則が両チームに頻繁に起こるため、審判が「どちらかの反則を取りたい」、と目を凝らせば大抵は可能であるため、これが韓国側にとって優位な判定になってしまった、と私は思ったのである。
     事実、続くスペイン戦では逆に、同じ場面でのスペインのゴールが、反則によって幻となった。

     そしてこのスペイン戦は、最も顕著に韓国贔屓と言える判定が続いた試合であった。

     延長前半には、スペインのサイドアタッカー、ホアキンが深い位置のライン際からゴール前に決定的なパスを送った瞬間に、ボールがラインを割った、として直後の決勝ゴールが取り消された。ボールはライン上にあり、インプレーなのは明白なのに、である。

     また延長後半には、絶妙なパスがオフサイドで取り消され、延長終了間際にはスペインがコーナーキックのチャンスを得ながら、審判は試合を終わらせてしまった。通常、こういったチャンスの最中に審判が試合を終わらせることなど有り得ないはずなのにもかかわらず、である。

     そこでこの出来事を目の当たりにした私は、ようやく韓国代表の“強さの秘密”を悟った。韓国代表の快進撃は驚くべき“幸運”の連続によってもたらされたもので、韓国代表は、4強に値するチームでは、絶対に、ない。

     今回のW杯では、韓国側開催の決勝トーナメントで韓国代表がでない試合は、殆ど盛り上がりを見せなかった事もあり、勝利を熱望する韓国人と大会を盛り上げたい主催者との間に、利害が一致した様に推測される。

     しかしこれだけは言っておきたい。

     不正が有ったとしても、それは決して韓国人のせいではない。
     あくまで主催者の仕業である。

     確かに今大会は審判のレベルは低く、韓国絡みの判定が事実誤審だった可能性も否定できないが、W杯において開催国が優遇されるのは、今に始まった事ではない。

     66年イングランド大会では、イングランドVSアルゼンチン戦で西ドイツ人が、西ドイツVSウルグアイ戦でイングランド人がそれぞれ主審を務め、欧州の2カ国が揃って勝ち上がった。アルゼンチン人の中には自嘲気味に、「あの大会は78年アルゼンチン大会並みに怪しい」と話している人がいる。

     その、軍事政権下で行われた78年アルゼンチン大会では、アルゼンチンの最大の敵と目されたブラジルに不運が起きる事になる。

     まず、試合終了間際に打たれたシュートがゴールに入る前に、試合が終了してしまったケースがあった。
     また、当時は1次リーグの次に、2次リーグが行われ1位が決勝進出という方式だったが、2次リーグ最終戦を前に、アルゼンチンとブラジルが勝ち点で並び、得失点差がものを言う展開になっていた。
     このケースでは、ライバルの結果を知って戦える側が有利な為、リーグ最終戦の2試合の試合開始は同時刻となるのが通例である。しかし何という偶然か!!アルゼンチンは、ブラジルの試合が終わった直後に、ペルーと戦い圧勝して(八百長の噂もあった)、決勝に進んだ。

     スペイン対韓国戦の後、「審判は機械ではない」「誤審もサッカーのうち」「人間の目は間違いを犯すことを理解してほしい。マジックが成立するのは、人間の目が手品師のスピードに付いていけないからだ」など、「サッカーとはそういう物だ」といった絶望的な意見が聞かれたが、問題はそんな深刻な物ではない。

     W杯の審判は主審36人、副審36人が選出されるが、36人の主審は36カ国から選ばれる。
     しかし日常的にレベルの高いサッカーが行われて、審判にも高いレベルが要求されるのは、欧州及び南米の一部の国々である。従って、良い審判を選出したければそれらの国から選出する必要があるにも係わらず、「1カ国1人」を前提に審判を選出しているということは、選考に実力は余り考慮されず、世界2位の審判ですら、漏れる事は充分に有り得るのだ。

     この審判問題の最大の問題点は、イタリアやアルゼンチンに大勢いる、経験と技量と誇りを備えた審判を、大量に干してしまった事である。
     今回有名になった、イタリアから選出された審判コリーナ氏は本当に素晴らしい審判だったが、イタリアには、他にもレベルの高い審判がたくさんいる。私は、イタリアセリエAやアルゼンチンリーグで、レッドカードを出された選手が殆ど抗議することなく、退場していったのを何回か見て、もしも彼らが今回のW杯のピッチに立っていてくれたら、これほど大きな問題はいろいろと起こらなかったろうに、と思った。
     このように、試合を統制できる審判を「1カ国1人」の決まりに因ってW杯に選ぼうとせず、「審判は機械ではない」などと言うのは、無責任にも程があると私は思うのだが、みなさんは果たして、どのようにお考えだろうか。

     では、何故このように後進地域から審判が多く選出されるのか、という問いには、簡単に答えることができる。というのは、W杯を主催するFIFAの決め事は、200を越える加盟国の投票で決めるか、投票で選出された人達が決めることになっている訳だが、この構図の中で権力を維持したければ、当然、多数派を構成している後進地域に便宜を図る必要があり、その結果として、後進地域の役員がW杯に紛れ込み、それが大会の品位にまで影響しているからである。
     たとえばこれと似たようなケースで、日本人の記憶に新しいものがあるとしたら、シドニー五輪の柔道における「篠原誤審事件」が上げられる。あの時、篠原の決めた技で相手にポイントを与えた審判は、ニュージーランド人で、審判としては決して優秀というわけではなく、あのような事態になったのである。

     UEFAが主催する欧州サッカーシーンは、間違い無く世界屈指のスポーツシーンである。しかし、FIFAが主催するサッカーを見ていると、このスポーツを「世界最高のスポーツ」と呼ぶことを私は躊躇してしまう。

     最後に、今回のW杯でサッカーファンとなった人達にお伝えしたい事がある。

     是非、Jリーグを見てサッカーに飽きてしまわないで、チャンスがあれば欧州のサッカーを多く見て頂きたい。我々を楽しませてくれるサッカーを見せてくれるはずだ。

    【参考サイト】

    http://members.tripod.co.jp/lets_go_korea/(←必見の価値有り)
    http://sports.nifty.com/index.htm



     『ワールドカップボランティア体験記』 きめら・にせん


     さて、お願いされたはいいものの、何を書いたらいいものか。

     ワールドカップのボランティア体験を語るにしても、ワールドカップの1年前からすでに準備は始まっていて、そこからいったのでは、紙面が間違いなく足りなくなる。そこで、とりあえず、近いところから書きはじめることにしよう。

     今年2月に行われたイングランド講習会では、講師のイングランド人(イギリスではない。サッカーの世界では、イギリスは4つの協会に分かれており、そのうちのイングランドなのである)が熱狂的なサポーターの格好をして現れ、我々ボランティアの度胆を抜いた。テレビでも紹介されていたので知っている方もいるかもしれない。4月くらいまではずっと講習の日々だった。
     私自身は埼玉の開催地ボランティアだったので(ボランティアにはJAWOCボランティアと開催地ボランティアがあり、スタジアムで仕事をするのはJAWOCボランティアだけ)、4月末からさいたま市のさいたま新都心に設置されたインフォメーションプレスセンターで勤務することになった。もっとも、実際の配置はパブリックビューイング(公共の施設を借り切って試合を放映し、それをサポーターに見てもらうこと)だったのだが、時間が空いていたのでそこを志願したのだ。ここでの仕事内容は、広報活動・取材の受付などである。あとは風船作り。小さい子供狙いである。あまりに熱心にやっていたものだから、担当の県職員に2日目にして「班長」というあだ名をもらってしまった。(なぜか仕事が終わる6月末には他のボランティアまで「先生」と呼ばれる始末。「先生と呼ばれるほどのバカでなし」という川柳もあるんだけどね)
     5月に入ると、英語の研修も開始された。週に2回、ジェレミーさんという講師の方が教えてくださった。オーストラリア人でイギリスの永住権も持っている方だが、日本語もペラペラで、とても良くしてもらった。実際の勤務の際にもいろいろと手伝ってもらったりもした。この方のおかげで外国人のサポーターも怖くなくなったと思う。
     これらの1年にわたる研修があり、6月のワールドカップに入った。

     埼玉で試合が行われたのは6月2日のイングランドvsスウェーデン戦、6月4日の日本vsベルギー戦、6月6日のサウジアラビアvsカメルーン戦、6月26日の準決勝、トルコvsブラジル戦の4試合。すべてにパブリックビューイング要員として参加した。このほかに6月3日・5日もその他のイベントで入っていた。5連荘である。我ながらもの好き。
     会場は埼玉スーパーアリーナと周辺地域。私の配置場所は入口ゲート。要するに東京ドームの荷物検査である。もちろん東京ドームみたいにおざなりではない(あそこはたとえサリンを持ち込まれても決してわからないだろうと確信している)。ゲートのみで6列24人体制でフル回転。この他も合わせるとこの会場のみでボランティアが100人体制。このほかに電通さんがイベントスタッフとして入っていた、というか、ボランティアは電通の指示で動いていた。餅は餅屋に任せるのが一番だから構わないけれど。

     6月2日はイングランドサポーターが9割でスウェーデンが1割。みんなフーリガンを恐れていたようだが、全然そんなことはなく、非常にフレンドリーに対応してくれた。酒類が持ち込み禁止だったからかもしれないが。業務が終わったあと、会場に潜り込んで試合を観戦。凄い盛り上がり。帰りもほとんど混乱なく、整然としていた。

     6月3日は埼玉のFM局・NACK5の公開生中継。この日はほとんどアイドル目当ての客で、結構暇だった。もっとも、私はこの日の午後、遺言を書き、彼女に最後のあいさつをしたのだが。理由はこの次にある。

     6月4日。日本戦。もしこの日に日本が負けていたら、一番最初の攻撃のターゲットは我々ボランティアになる。一番先に目についたものが攻撃対象が決まるというのはニュースでもさんざんっぱら聞かされている。
     プレスセンターに寄ってから会場に行ったのだが(歩いて1分の距離である)、すでに会場の半分をサポーターが取り巻いていた。実に15,000人収容のアリーナで5,000人が試合開始の5時間前に来ていたとあとで聞いた。
     開場は3時だったのだが、15分早まった。開場と同時に走って会場に駆け込むサポーター。入り口付近で列がふくらむのを押さえ込んでいたのだが、思わずはね飛ばされる。暴走しかけるサポーターを警察が押さえ込む。実に100人体制!このあとは人数を区分けして入場させる方式になった。最初からそうしてくれれば良かったのに。
     そうこうしているうちに50分がたった。電通スタッフから「札止めにします」の声。これが世に言う「さいたまスーパーアリーナ15,000人札止め」の伝説である。外には入れなかったサポーターが「入れろ」コール。しかし、これは安全上仕方がない。幸い、外からモニターが見られる状況だったため、それ以上の混乱はなかったはずだった。
     入り口が勤務終了になったため、場内の見回りに入る。試合開始前から凄い盛り上がりと「ニッポン」コール。ボランティアも一団で見回る。なかにはレプリカユニフォームに着替えて見ていた人もいた。0-1から鈴木のゴール、続いて稲本のゴールが決まると場内は歓喜の嵐。結局2-2の引き分けに終わり、日本が初の勝ち点1をゲット。ついでに我々も命拾い。
     ところが、本当の混乱はこの後にあった。最寄り駅のさいたま新都心駅で飛び込み自殺があり、電車が止まってしまったのだ。ただでさえ試合終了後に客がごった返す場所なのに、電車が止まったのではどうしようもない。駅に入りたくても警察が非常線を張っていたのでムリ。結果、サポーターは駅で大盛り上がり。2,000人は間違いなくいた。しかも、このあとスタジアムからのシャトルバスが到着して、人数は増すばかり。見ている分には楽しいが、このままでは家に帰れない。仕方ないのでプレスセンターで残業。電車が動きだしたとの情報を得てから帰宅。実に12時。次の日も勤務があるのに。

     6月5日は地元のイベントでスタッフ参加。試合がないのでほとんど誰も来なかった。支給の弁当だけもらってとっととプレスセンターへ。ほとんど自分の家みたいな感覚になりつつある。また残業。

     6月6日は特設会場で入り口ゲートチェック。収容1,000人。スカパーでしかやらない試合なので、契約上そういう会場しか使えなかったのだ。もっとも、中津江村で有名になったカメルーンの試合だったので、1,000人近く来場があった。ほとんどがカメルーンを応援していた。なぜか同じグループのアイルランドのサポーターも来ていた。結果が気になるんだろうな。まあ無難にすんで、嵐の五連荘も終了。

     あとは悠々自適のはずだったのだが、6月9日の日本vsロシア戦のパブリックビューイングで(これは私は関係なかった)サポーターが暴走したため、パブリックビューイングの方式が応募抽選制に変更になった。往復ハガキを使わなければならないため、外国のサポーターはほとんど応募できなかったらしい。許しがたいことだ。フーリガンは日本人の方だったということか。

     6月14日の日本vsチュニジア戦。パブリックビューイングが中止になり(当たり前だ)、プレスセンターにも苦情が来る。割りを喰うのがボランティア。号泣。残業ついでに試合をテレビ観戦。2-0で勝って予選リーグ突破!嬉しい。3敗も覚悟したのに。嬉しい。

     6月26日。トルコvsブラジルの準決勝。入場が5,000人と決められていたので割と楽だったが、抽選はずれ券を持った客が「どうせいっぱいにならないんだから入れろ」とネチネチ難癖をつけてくる。警察に後を任せて、勤務に戻る。今度は再入場口につく。再入場の際はスタンプが必要になるので、ペタペタとスタンプを客の手の甲に押していく。頬に押してくれという客もいたので、ご要望に応じてあげた。お客大喜び。そしてブラジルが勝ち、決勝へ。埼玉にはブラジル人もけっこういるので、さらにみなさん大喜び。大騒ぎで帰っていく。
     この試合でボランティアとしての仕事は終了。あとは決勝とフェアウェルパーティー。

     6月30日。パーティー会場じゃなくてプレスセンターへ。別れがたい。愛着のある場所で最後の風船づくり。指の皮が擦り切れるまで風船をつくり続けた。2ヶ月通い続けた場所が、次の日にはなくなっている。そう思うといてもたってもいられなかった。時間が来たので泣く泣く会場へ。フェアウェルパーティーではケーキをヤケ喰い。机の所々ではメモ帳と寄せ書きが満開。「いつか同窓会をやろう」と約束した。

     パーティーの後は決勝戦を観た。ブラジルがドイツに2-0で勝ち、5度目の優勝を飾る。試合終了後、またプレスセンターへ。みんななぜか集まってきている。誰彼関係なく握手して帰った。家に着いたら、なぜか涙がとめどもなくあふれてきて、止まらなかった。達成感からか、それとも喪失感からか。自分でもわからなかった。
     おそらく日本でワールドカップが行われることは、自分が生きているうちにはないだろう。だが、少なくともボランティアであった自分はここにいる。それは誇りだと思う。

     これを書いているうちに、いろいろな思いが胸をよぎって、涙が出た。これを書いているのは7月19日。もっと早く原稿を上げれば良かったのだろうが、しばらくの間、何もする気が起きなかったのだ。「ワールドカップ症候群」ということになるのだろう。拙い文章はお許しいただきたい。


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