マック鈴木インタビュー特集(2002.11.16.配信 マック鈴木ドラフト前)

    1.マック鈴木インタビュー「二人のマック」 あざらし

    2.ありし日の天才 MB Da Kidd



     1.マック鈴木インタビュー「二人のマック」 あざらし


     「俺、おばけだけはこわい。」

     茶目っ気たっぷりに笑いながら、目の前の身長191センチの大男はインタビューの後突然そう話し始めた。何だってそんなことを唐突に話し始めたのかはわからない。彼だって何も考えてなかっただろう。単に口をついて出た言葉。そんな感じだった。

     「俺は、ちょっといかつくて怖い感じの入れ墨を入れたお兄さんとか、例えば目の前で暴力を振るう人とか、そういうのはちっとも怖くない。全然平気。でも、目には見えなくてどうしようもないもの、それだけは怖い。だって、自分ではどうすることもできないから。」

     あまりにもその予想外のマック鈴木選手の告白に、ただ「なんで?」と笑いながら返す他はなかった。ゲラゲラと二人でただひたすら笑い転げた。灼熱のローゼンブラット・スタジアム。焼けるような強い肌のほてり。ほんのちょっと前グラウンドに初めて自らの足で立ったとき、そこは火星だと直観的に感じた。そして今、ダッグアウトの深緑のベンチに二人で座って、何だってこんなバカなことを話しているんだろう。少々不可思議な感じがしないでもなかった。周囲には日本語のまるでわかるはずのないオマハ、ネブラスカのアメリカの人たちが数人、怪訝そうに少し遠くからこちらの様子をのぞき込んでいた。

     別れ際、私は彼に写真を撮らせてもらうようにお願いした。彼は一人で撮られることにまるで照れているかのように、戸惑う球場職員の人を強引に誘って一緒に撮らせてくれた。そして、私はグラウンドを後にした。

     はからずも、もう一度あの「おばけだけはこわい。」という彼の言葉が思い出された。たくさん他にもいろいろな大切な話を聞いていたにも関わらず、なぜかその一見なんてことのない言葉だけが心の中で何度も繰り返されたのだ。

     そしてグラウンドから観客席に一歩足を踏み入れた次の瞬間、彼が今し方言っていたあの発言こそが今回自分がインタビューに求めていた答えである、という事実に思い当たった。そう、彼は知っているのだ、無意識裡にではあるが。彼自身が今現在抱えている大いなる問題の答え。その豊かな才能がありながら、なぜマック鈴木という投手は自ら思うようにメジャーリーグの投手として結果を残すことができず、また長い間周囲の期待に応えることができずにいるのか。恐らくは彼自身長い間懸命に探し求めていて、未だそれを発見することができずにいると思っているであろうもの。彼に期待をし、彼を応援する多くの周囲の人々も待ち望んでいる何か。その答えをなんと彼は自らすでに語ってくれていたのだ。無論そうとは知らずにではあるが。

     昨年の六月、カンザスシティロイヤルズのあのカウフマンスタジアムのメジャーのマウンドで、マック鈴木投手が投げるのを見ていた。彼はちょうど先発を外され、ブルペンにまわった所だった。ブルペンで見た試合中彼はとてつもない迫力に満ちていた。鬼気迫るその形相は、他のどの選手とも異なったものだった。鋭すぎる雰囲気。激しい緊張感。なんだか他の選手がリラックスし過ぎて間延びしているかのようにすら見えた。今までたくさんの野球選手を見てきたけれど、こんなに気性の荒々しい野球選手を今まで見たことなどないと、彼にはやはり天から特別な才能が与えられているのだろう、とそう認めざるを得なかった。

     しかし、マウンドでの結果は全く予想を裏切ったものだった。かたやダイアモンドバックスの大エース、ランディ・ジョンソンが快投を続けるのとは対照的に、二番手として登場したマック投手のピッチングでチームの敗北は決定的になってしまった。もはや、何点取られたのかも覚えていない。数える意味があるのだろうか、と思えるような考えられる限りで最悪の結果だった。次の次の日、また登板があった。そして同じ事の繰り返し。何も前回と変わりはしなかった。ただよりたくさんの得点を許しただけだった。球場に詰めかけたたくさんのロイヤルズファンは、ベンチに引き下がる彼の背中に容赦なくブーイングを浴びせていた。「Suzukiはこの前も同じようにして試合をぶっ壊した。あいつは”学校”でまだまだ学ばなきゃならんことがあるはずだ。」語気を荒げたファンがすぐ後ろの席で真っ赤な顔で怒鳴り散らしていた。

     彼は「普通」にがんばれば、「普通」に投げれば楽にもっと勝てるはずの選手としかみえない。あふれんばかりの素質と才能。誰もが認めるその天与の才。そしてあまりに大きすぎる挫折。その開花を阻むものは一体何なのか?この疑問がマック鈴木投手にはいつもついてまわる。なぜなのか。

     そして、今回KCロイヤルズのAAA、オマハロイヤルズに彼を訪ねインタビューをしたその主眼点はまさしくこの疑問を解くことにあった。マック選手本人が今尚抱え続けている彼自身に潜む問題を一体どう認識しているのか。その壁とも言えるものをどう乗り越えようとしているのか。具体的にその方法を見いだしつつあるのか、或いは、まだ暗中模索の暗闇の中にいるのか。それが知りたいと心からそう願っていた。

     過去の栄光が、そこから得たプライドが彼自身が抱えている問題と向かい合うことを困難にさせているのだろうかと勝手に推測していたことも実はある。1992年16才で単身アメリカに渡り、カリフォルニアリーグのサリナス・スパーズで練習生としてスタートを切った。A級のサンバナディーノでの活躍。それが認められての93年9月のシアトルマリナーズへの入団発表記者会見。マスコミにもてはやされ始めたのもこの頃。94年AA級のジャクソンビル・サンズ時代には、バーミングハム・バロンズのユニフォームを着た「バスケの神様」ことマイケル・ジョーダンとの邂逅が話題になった。95年は肩、肘の故障に悩まされ、ルーキーリーグで投げたこともあった。96年には初めてメジャーのマウンドを踏んだ。そしてAAA級のタコマ・レイニアーズ時代。自らのピッチングを模索した日々。オフにプエルトリコのウインターリーグも経験した。翌年にはベネズエラも。自分とは比べものにならない、家族のためひたすらハングリーに戦う男達の背中を見る。そして98年9月14日、ついにミネソタツインズ戦、メトロドームでのメジャー初勝利。長年の苦労の後についに手にした勝利。長いマイナーでの下積み生活の後に手にした白星は、日本のプロ野球を経由してやってきた選手の一勝とは大きく異なるものがあると評された。しかし、マリナーズ時代は案外早く終わりを告げる。99年メッツにトレード。その直後マイナー行きになるところでカンザスシティロイヤルズが手を挙げた。2000年は8月までは防御率が三点台で、一時はあのレッドソックスのペドロ・マルチネスに次いで二位だったこともあった。八月末には八勝目をあげた。しかし、そこから打たれてしまう。その10月には右肩の手術、カンザスにとどまってのリハビリ。そして迎えた2001年。手術後という周囲の心配をよそに、スプリングトレーニングでは早い回復を見せる。開幕からしばらくは順調だった。が、やがてブルペンに回され、ついに6月24日にはコロラド・ロッキーズにトレードされる。そして一息つく暇もなく、7月12日にはミルウォーキー・ブルワーズに移籍。そしてそのオフにブルワーズも自由契約になった。

     そのオフ、マック鈴木投手は数球団から誘いがある中、もう一度ロイヤルズに戻る選択をした。日本に帰るのではという憶測も一部流れなかったわけではない。彼はなぜロイヤルズに戻る決断をしたのか。

     「ミルウォーキーを自由契約になって、一番最初にオファーをくれたのがロイヤルズだったというのも関係しているし、あと、ロイヤルズでは投手陣が毎年問題になっているっていうのもあります。自分のことも一番わかってくれていて、何ができて何ができないか、というのがわかってくれてもいるし。ワールドシリーズに行くことが自分の目標なんですけど、30球団それぞれある中で、僕の場合それプラスチャンスもらえる球団ということで、一番ロイヤルズがいいかなと思ってロイヤルズに決めたんですけど。」

     「こっちで野球をやってもう十年ぐらいにはなるんですけど、別に十年たって、よく「日本に帰らないんですか」って言われるんです。でも、あえて帰ったとしても、今こっちではそこそこの選手なんで、今日本に帰って活躍できるかっていうと、そんなに甘くはないと思うんで。こっちで結果を残して、それで納得がいってそれで日本に帰るんならいいんですけど。ま、とりあえずこっちで自分が納得行くまで。」

     2002年は残念なことに、開幕マイナースタートとなった。キャンプが始まって早々に、一番最初の方でマイナー行きが決まってしまった。しかし、連続18イニング無失点が評価されたのか、5月20日にはメジャーに今季初昇格。しかし登板チャンスがなかなか与えられないまま時がいたずらに過ぎる状況が続いた。そして満足な結果が出せないまま、6月29日にはRosterを外され、結局再びオマハに戻ることとなった。

     「見た目には、周り的には僕がこう前進してないとか、止まっているとかもしくは後退しているんじゃないかとか見られがちなんですけれども、メジャーからマイナーに落ちるという時も、イヤな気持ちとか悔しさとか、みんながみんな持っている、その中でこう、何か自分の中で足りない、もしくは勉強しないといけない、何か身につけないといけない、だからこういう風に落とされたりするわけであって、それで身につける場所がここであって、だから.....、質問なんでしたっけ?!(苦笑)」

     オマハに今現在いる、ということについて聞いてみたとき、マック選手はそれまでよりは明らかにゆっくりと、詰まりながら、戸惑いながらしゃべっていた。混乱しているのも、無理はなかったのかもしれない。

     「野球をする上で一番大切なことですか。ギブアップしないこと。毎日毎日何か練習していく、だめなところを直していくということ。まあ、確かにもう十年ぐらい一応プロをやっているわけですから、それなりにもうクセもあるわけですし、やってきた習慣とかルーティーンとかもあるわけですから、全部変えるとかいうわけにはいかないですけど、まあ少しずつ自分を変えていって、ワールドシリーズで活躍できれば...っていうピッチャーになっていかないと。」

     「身に付けないといけないもの...。はっきり目には一日一日見えないんですけど、まあそれなりに。グラウンド来て、決められたメニューをこなして。ゲーム中には一切考えないんですけど、いろんな他のこととかは。まあ、試合の流れとかそういうことは考えますけど。(大切なのは)マウンドに行くと、無心でキャッチャーめがけて投げるということですね。グラウンドに来ると、練習なんか一日二、三時間ぐらいじゃないですか、試合が三時間ぐらいあって、一日五時間ぐらい野球する時間があって、できるだけ集中して、でブルペンにいるときはバッターをできるだけ見たりとか、少し投げて、投げた後自分のチャートを見て、何がいけなかったのかそういうことは勉強できるじゃないですか。でまあ、続けていく。しょうもないことなんですけど、それを続けていって勉強していく。勉強しかないですよね。」

     「まあおわかりのように、もうそろそろ「勉強する、勉強する」っていう年頃でもないんで、目標というか目的を大きく持って、優勝するとか、そういうなんというか目的に向かって野球をしていかないと、自分も変わっていかないと思うし、これから先もあまり自分も成長しないと思うんですよ。で、あんまりコントロール、集中力がないとか、経験が足りないとかいろいろ言われますけど。精神面が弱いとか。そういったこと...僕にとっては小さな問題だと思うんですよ。ワールドシリーズという目標、目的があれば。別にコントロール悪くてもワールドシリーズで優勝するピッチャーもいれば、いろんな問題があってもリングもらえる選手もいるわけじゃないですか。そういう大きな目標を持ってやっていくのがいいのかなと。」

     幾度となく繰り返される「ワールドシリーズ」という言葉。彼の今の立場からすれば、とても壮大な遠い目標。敢えて大きな目標を立てることで、これまで散々傷ついてきた自分のプライドを何とか維持しようとしているように見えなくもなかった。何とか自分自身を保とうと、今にも見失いそうな野球への情熱を再び掻き立て奮い立たせようとしていたのだろうか。しかし、空虚だった。
     「無心で投げる」それを目標にしているのであれば、自らの精神面と日々向かい合うことなしにそれが達成されることなどどうしてあり得るのだろう?小さな問題だとどうして言えるだろう?

     恐らく、マック選手は自ら与えられた環境の中で、彼なりに考えられる中で最大限の努力をしてきたのだろうと思う。日常生活の中でこなすべきものは全てこなし、やれることはなんでもやってみた。そこまで努力しても見えない結果。出てこない、そして得られることのない何か。困惑、混乱、自分への怒り。インタビュー中に幾度となく、彼に自ら抱えている問題をいかに認識しているか、そしてその解決の糸口らしきものは見いだしつつあるのか尋ねてみた。そしてそれに対する満足な答えは、ついにぞ得られることはなかった。「この一番大切な答えを見いだせないまま話を終えてしまったのは、私自身のインタビュアーとしての力量不足のせいだろうか?」と内心では正直うちひしがれた思いを抱えたまま、真剣な話を聞き終えることとなった。

     この後私達二人はおもむろに雑談を始めた。私にとっても、恐らくは彼にとっても久しぶりの日本語での会話が、彼をリラックスさせた一つの要因だったのかもしれない。それまで多少背を丸めて前かがみになり真剣な表情で話していたマック選手は、ダッグアウトのベンチに深くゆったりと腰掛け直し、深くひとつ息を吸うと満面の笑みを浮かべて楽しそうに話し始めた。それまでとはあまりに異なるその陽気な態度に、チームメイトのBlake Stein選手も携帯を持って話したまま、私たち二人の間に何事かと不思議そうな表情で顔を突っ込んできた。(Stein選手は私が「こんにちは」と日本語で挨拶をすると、一瞬の間をおいて「こんにちは」と日本語で切り返してきた。マック選手にいつの間にか日本語を教えてもらっていたのだろうか。少し驚いたが、うれしい出来事だった。)そして、目の前の陽気な日本人の大男は、どこかまだあどけない笑顔で口にしたのだ。「おばけだけはこわい」と。

     彼は天才である。その事実に私は一度たりとも疑いを持ったことはない。あまりに並はずれた物理的変化、変動、運動に対する感覚的能力。この力が彼に野球選手としての道を与え、メジャーに導いた。

     そしてこの一つの能力に異常なまでに秀でているということは、とりもなおさずその対極にある能力が、本人に意識されないままであるならば、並はずれて弱いままである、ということも意味する。つまり、心理学で言うところの劣等機能であり、それが彼の無意識を司っている。

     マック鈴木選手は「おばけだけはこわい」と言った。なぜなら、それは意識的な力では全く認識できないものだから。物理的に対応できるものではないから。彼にしてみれば、自らの最も不得意とする能力が要求される類の問題なのだろう。人間誰しも、自らの苦手とするものについては、他人から見ると必要以上に恐れたり敬遠したりしがちである。彼にしてみれば、バッターが至近距離から打ち返してくる剛速球の球は全然こわくないのだ。それは彼にとっては当たり前であり、既知の安心できる世界での出来事なのだ。でも、おばけに象徴される無意識的、精神的諸力で対応しなくてはならない未知の世界には、極端なまでに苦手心を抱いているようだった。

     天才である、ということはこれら能力の優劣の落差が並はずれて激しいということであるが、だからといって、劣等機能がそこに全く存在しないというわけでは決してない。むしろ、彼の無意識は彼の感覚的能力と同等かそれ以上に、並はずれた強大な力を持っている。潜在的に。ただ、不幸なことに、その無意識的諸力は彼の意識に全く認識、理解されないまま今日まで至ってしまった。そしてひたすら抑圧され全く省みられることのなかったこの彼の直感的機能は、彼が自らの得意とする能力だけで人生を切り開こうとしてきたとき、必ずそれに異を唱え、ブレーキをかけてきた。彼の無意識はそのようにして自らの存在を意識に認めさせようとしてきたのだ。その結果、彼の意識の意図する試みはことごとく失敗し、それ故その努力の多くはここまで徒労に終わったのだろう。そして恐らくはこの先、マック鈴木選手が自らの中にある無意識にこれまで同様対峙することを避け続けるのであれば、今の状況は決して変わらぬまま、そして事態はより厳しい方向へと向かってしまうのではないか。そんな危惧を抱かずにはいられなかった。

     「鈴木誠は二人いる。」時々こう思わずにはいられない。そのもう一人の鈴木はもう一人の自分にその存在を認められることを、そして共に手を携え、やがて一人の人物として本来の自己として生きることを切に願っている。そして、その鈴木はふとした時に私の前に現れて語ってくれた、自ら最も苦しいときにありながら、その状況を打破するのに最もカギとなる言葉を。答えを。

     鈴木誠、27才。彼はその人生において、まだ決して本来の自分を、自己を一度たりとも生きてはいない。このまだ二人のままである鈴木誠がやがて一人になった時、つまりは自らの意識がその無意識の力を認めその力に自らを委ねるようになった時、彼は彼本来の鈴木誠となり、天から与えられた才能に見合った活躍をし、その使命を果たすことができるようになるのだろう。

     本来の自身である天才マック鈴木になれるかどうか、その最後の分岐点に今人間鈴木誠は立っている。

    【参考文献】
    心理学と錬金術1、2巻 カール・グスタフ・ユング著 池田紘一・鎌田道生訳 人文書院社刊



     2.ありし日の天才 MB Da Kidd


     私はいま、マック鈴木がメジャー初先発したときのVTRを観ている。その画面には、しとしとと小雨の降る薄暗い闇の中、白いシートがかけられ、スタンドから明るく照らす照明の光の中、鮮やかに光る、黄緑色の芝のグラウンドがあった。そしてそのシートは、小雨が落ち着き、いざ試合開始の段となると、フェンウェイパークの職員のみなさんによって手際よく片付けられ、背番号33と赤く大きく刻印されたユニフォームをまとったピッチャーが、マウンドへと向かった。かつてアトランタ・ブレーブスで投手王国の一角を担ったビートルズ4人衆の1人、スティーヴ・エイヴリーである。

     ビートルズ4人衆とは、グレッグ・マダックス、トム・グラヴィン、スティーヴ・エイヴリー、ジョン・スモルツという、90年代前半のアトランタ・ブレーブスを支えた4枚看板のことだ。この当時のブレーブスはあまりにも強くて、どんなチームも歯が立たなかったのを覚えている。

     だが、そのブレーブスからエイヴリーが放出され、ボストン・レッドソックスに移籍したとき、若くして出てきたこのピッチャーの落日の早さに、私は驚嘆したものだ。この1998シーズンのエイヴリーのピッチングからは、何か、『先の見えている年寄り臭さ』というものを感じていたのだ。これは、全盛期の彼を知っている者としては、正直、寂しい思いがあった。

     そして、16歳のときからアメリカに渡り、着実に一歩一歩力をつけ、ついにメジャーにまで這い上がってきたこのマック鈴木とのマッチアップが実現したとき、私は、スターの新旧交代の匂いを、この試合の中継で感じ取ったのである。
     落日のエイヴリーと、日の出の勢いのマック鈴木。神様は何て粋ないたずらをするんだ、と、あまりにも似合いすぎのこのマッチアップに、私は苦い笑いを噛み締めたものである。

     事実、この日のマック鈴木の投球は、アップアップだった感のあるエイヴリーのピッチングとは違い、正に若武者のような、際立った荒々しさと、瑞々しさがあった。勢いのいいストレートに、有効に決まるチェンジアップ。3Aタコマにてそのシーズン、131.2イニングで117奪三振という数字は、ダテではなかった。防御率が4.38と少々悪いのは気になるが、ロースター拡大でマイナーから引き揚げられるには充分な数字だったし、私はこのときの彼のピッチングから、彼がメジャーのチームのローテに入って、毎年コンスタントに2ケタは稼げる逸材だ、と思ったものである。

     ところが後日、さらに彼のピッチングを見たとき、私は、悪い予感がした。

     ピッチングが細かすぎるのである。途中までの配球が完璧でも、完璧すぎるがためにふっと気が抜け、そこを相手バッターに見透かされ、パカーンと打たれるのである。これでは、いくらいい投球をしても、結果は出ない。

     ピッチングが細かいということは、私が初先発で見たときの彼に比べると、無論、格段に進歩していた、ということでもある。ところが、細かくなり、ヘンなことを追求し始めると、細かさの泥沼に入り込み、自分でも、何をやっているのかわけがわからなくなってしまう。そしてドツボにハマり、坂を転げ落ちていくように結果が出なくなり、表舞台から消えていくのである。これは、才能豊かな天才にありがちなワナで、私は、そうやって、『持ち上げられた天才』が表舞台から消えていく姿を、何度も見てきた。そしてそのときのマック鈴木からも、そういったときと同じような、悪い予兆が漂ってきたのである。

     この泥沼から抜け出すには、方法はひとつしかない。目の前にあることを、確実に片付けていくこと。そして、物事をシンプルにし、整理して考えられる状態に、意識して自分を置くことだ。わけがわからないものは、そのあるがままの姿を冷静に受け止め、それを克服しようとするのではなく、自分にできるすべてのことをやることだけに集中して対処することしか、それを超える術はない。所詮自分1人がどんなに頑張っても、自分のやれることには限界がある。だから、相手云々というよりも、どこまで自分にこだわって、自分のなすべきことをできるか。これは、私の尊敬するトニー・グウィンが、自分の著作の中で述べていることでもある。
     また、自分のやっている行動に、大義名分という余計な重しをくっつけないこと。そういうものを背負うと、心理的にものすごいプレッシャーになる。所詮自分のやってることに100%満足できるのは、世の中では自分自身しかいないわけだから、他人の期待に応えるのは、自分が満足してからでいい。

     天才は、常人に気がつかない細かいところに気がつくからこそ、天才なのである。それがゆえに、進歩すればするほど、細かさのループにはまりやすい。どうでもいいところはどうでもいいと割り切って放っておき、肝心なところに力を集中する。これができるようになり、また、どうでもいいところとどうでもよくないところを区別する、この判断ができるようになったとき、天才は初めて開花する。だが、その判断ができるようになるためには、経験が必要なのだ。
     そしてマック鈴木は、すでに、それができるようになるだけの、充分な経験を積んでいる。それであるがゆえに、私は彼に期待する。もう機は熟した。だから、他人が何を言おうが、最後まで、自分の信念を曲げることなく、自分にとことんこだわって、野球を究めてほしい。ここ数日、彼がNPBのドラフトにかかるとかいう話が出ているが、自分を曲げずにこれをはねのけ、最後までアメリカで初志を貫徹してほしい。これは、1人の野球ファンとしての、私の願いである。

     幸運を。

    (この文が配信された4日後、2002年11月20日、マック鈴木投手はオリックス・ブルーウェーヴからドラフト2位で指名を受けた)


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