プレイボールとゲームセットの間に by 粟村哲志

    第11回 「審判って何人必要?」

    第12回 「ボールから目を離さない」

    第13回 「グラウンドルール」

    第14回 「退場処分」

    第15回 「本塁打なのにフェアの宣告?」



     第11回 「審判って何人必要?」


     ルール上、野球の試合に審判員は最低限1人いればよい。これはルールがそう定めているからである。

     『公認野球規則』9.01(a)には「リーグ会長は、1名以上の審判員を指名して、各リーグの選手権試合を主催させる。」と記されているのだが、もちろん現在のプロ野球で審判員が1人ということはない。よく知られているように、我が国のプロ野球でも米国大リーグでも審判4人制で試合が行われるのが原則である。そして、日本シリーズやワールドシリーズ、オールスターゲームといったビッグイベントでは6人制が採用されている。
     日本ではアマチュア野球でも正規の試合は4人で、という団体がほとんどだが、米国では大リーグ以外の試合で審判が4人もいることはまれだそうである。米国では2人制の審判法がきちんと確立されており、以前にも紹介した「審判学校」で徹底的に教育が行われる。そしてプロでも、ルーキーリーグと1Aでは2人制、2Aと3Aでは3人制で試合が行われる。アマチュアでも少年野球から大学野球まで、2人か3人が通例で、大きな大会の決勝戦でもなければ4人制などまずお目にかからないといわれる。
     米国ではプロ用の2人制マニュアルが市販されており、誰でも勉強することができるが、日本ではまだまだ4人制以外の審判法が認知されているとはいえない。例外的に軟式野球では3人制が多く用いられていると聞くが、私が高校や大学のオープン戦に行っても、人数の足りないところは控え選手で埋めますから、と言われて無理矢理4人で行うのが普通である。

     プロ野球で判定トラブルが起こるたびに「6人制なら防げたミス」だの「6人制に戻すべき」だのといった声があちこちから上がるが、専門家としていわせてもらえばナンセンスな話である。2人でも充分にプロの試合が裁けるというのに、4人もいればお釣りが来るほど充分なシステムといえる。ビッグイベントで6人制が採用されるのは、万が一のポール際の打球に対処するためというよりは、少しでも多くの審判員に名誉を与えたいという意味合いの方が大きいし、かつてやはり2人制、3人制から始まった日本プロ野球で長年6人制が採用されていたのは、ナイトゲームで使用される照明の光量が充分でなかったからだと聞いている。
     先日、セ・リーグのある試合で球審を担当していた審判員が試合中に体調不良を訴えて退いたということがあったが、我が国では「控え審判制度」が採用されているので、こういう場合はクルーのうちの誰かが球審に回り、控え審判が入って4人で行う。ちょうど同じ頃、大リーグの試合で球審が負傷退場した試合があったようだが、彼の地には控え審判などいないので塁審のうちの1人が球審に回り、3人制で試合を続行したようである。

     我が国のアマチュア野球でも少人数制審判を積極的に取り入れていこうという動きが出始めているが、一般の野球ファンにも認知されるよう働きかけをしなければ、なかなか定着しないのではないだろうか。

     ちなみに、いわゆる草野球では1人審判が普通だが、これは野球自体が多少のどかな面があるのと、謝礼を払う予算の関係があるからだろう。私も時々頼まれて有料で草野球の審判を1人ですることがあるが、牽制球も盗塁も、すべて本塁の位置から見るのには無理がある。おまけにエラー等でプレイが壊れて難しい判定を要求されることもしばしばで、つくづく2人制からが本当の審判なのだと感じさせられる。



     第12回 「ボールから目を離さない」


     先日、リトルシニアの公式戦で、私が審判になってからおそらく初めての「隠し球」を経験した。

     最終回裏の攻撃で、なんとか得点を挙げたい後攻チームが二死からではあるが内野安打で一塁に走者を出した。球審だった私は本塁の定位置に戻り、次打者を打席に迎えようとしていたのだが、そのとき一塁塁審の「アウト!」という大きな声が聞こえたので驚いて一塁を見ると、走者が呆然と立ちつくし、一塁手と投手が喜んで飛び上がっている。隠し球で試合終了。気持ちのいい幕切れではないが、ともかく試合は終了した。
     しかし、この隠し球は、私にとって大失態といえるプレイであった。なぜなら、私はこの隠し球に全く気づいていなかったからである。

     審判員にとって、ボールインプレイ中に一番大事なことは、ボールから目を離さないことである。ライブボールの行方は何にも増して重要なことであり、極論すればそれがために何か他のことを見落としてもやむを得ないとさえいえる。米国審判学校でも「Watch the ball, glance the runner.(ボールはしっかりと注視する、走者はチラリと見る)」と教えると聞いている。まさに名言だと思う。
     あの試合のあの瞬間、私には明らかな油断があった。私が犯したのは、穴があったら入りたいほどの恥ずかしいミスである。人間はもちろんミスをする。だが、注意すれば防げるミスは、絶対に犯してはならない。一塁に走者が生きて、なおかつそのボールを一塁手が持っているというのに、二死一塁という状況が作られたことに私はなぜか「安心」してしまった。次の打者、次のプレイのことにばかり気を取られて一刻も早く定位置に戻ろうとばかり、生きているボールから目を離してしまったのである。
     隠し球があったということは投手は試合球を持っていなかったのであって、一塁でタッグアウトが発生する前に投手がボークを犯していなかったかどうか(ボールを持たずに投手板についたり、投手板付近で投球に関連する動作を起こしていなかったかどうか)とか、一塁手が実は隠し持っていた違うボールを取り出したのではないかとか、そういうことに対して何の責任も持てないのである。しかも、なおまずいことにこの試合を担当していたクルーのうち、当該の一塁塁審を含めて4人とも隠し球に気づいていなかったというのだから、攻撃側から抗議がなくて本当に良かったというのが正直なところなのである。

     米国でマイナーリーグ審判員として活躍中の内川仁氏も、ボールから目を離してしまった失敗談を語っていた。こちらは走者二塁、打者がライト線を抜くフェアヒットを放ったので、二人制のフォーメーション通り球審の内川氏がフェアの判定をし、ファウル地域を転がるボールを注視していたのだが、二塁走者が三塁を回ってくる、その触塁を見るために「チラリと」三塁を見て、それから視線を戻したところ、ボールが消えていたのだそうである。
     実は内川氏がボールから目を離したその一瞬の間に、ブルペンにいた控え選手がファウルと勘違いしてそのボールを拾い上げてしまっていたそうなのだが、このケースなど、私の失敗とは違って審判員の行動としては全く基本通りなのにもかかわらず、考えられないようなアクシデントが発生して、あやうくトラブルになりかかっている(このときはパートナーの塁審がブルペンを見ていたので大事には至らなかったそうである)。「完全に私のミスでした」と、この話をしてくれた内川氏の表情がとても厳しかったのが印象に残っている。

     プロ審判のように毎日毎日ではないにしても、私も年間に100試合前後をこなす中で、やはり初心を忘れて気持ちを切ってしまっている面があったのだろうかと反省しきりのプレイではあった。だが、初心に戻ることの大事さを教えてくれた貴重なプレイともいえる。いまのところ、「羮に懲りて膾を吹く」という言葉を思い出すくらいボールから目を離さないようにしているが、こうやって身体に染み込ませていかなければならないのだと思っている。



     第13回 「グラウンドルール」


     先日、高校の練習試合を頼まれて2試合ほど審判をしてきた。知人を誘って2人で出向いたところ、審判のことに理解のある監督さんで、2試合とも2人制で練習させてほしいというこちらの要望を快く受け入れてくださったので、交代で球審と塁審を勤め、無事に試合を終えた。

     この高校のグラウンドがサッカー部と共用の変形運動場で、様々なグラウンドルールが設定されていて苦労したのだが、一番困ったのが外野の扱いだった。
     外野にはフェンスのようなものがいっさい設置されておらず、土手や階段など、地面から盛り上がっている部分が境界線とのことで、それはまあよかったのだが、「土手に完全に乗ってしまったらボールデッドで2塁を与えますが、戻ってきたらインプレイにしてください」との説明を受けた我々は、「そんなあいまいな決め方をしてトラブルにならないのだろうか」と不安を感じていた。

     1試合目は知人が球審、私が塁審を担当した。初回、いきなり試合が動き、走者がたまった状況で右翼手を越える長打が出た。走者がいたので内野内に位置していた私は打球の行方を注視したが、転がっていった打球が右翼の土手に達し、数10センチほど土手の上にあがった。私はこれが説明を受けたボールデッドの状況かと思ったが、ホームチームの右翼手はためらうことなくそのボールをつかんで内野に返球し、誰もが自然にプレイを続けたので、私は「この程度ならインプレイと見なすことになっているのだな。やはりいい加減に取り決めているらしいから、呼ばれている練習試合でもあるし、それにあわせよう」と思ってプレイを流した。

     試合は順調に進んだが、両チームとも打線はあまり活発ではなく、外野に長打が飛ぶこともなかったので、グラウンドルールのことを気にしなくなっていた終盤、ちょっとしたトラブルが起きた。
     今度は左翼に長打が出て、その打球がまたもや土手を駆け上がっていったのだ。右翼と違って左翼の土手は草が深いようだった。ボールは草むらの中に沈んでしまったようだったので、今度こそタイムをかけてプレイを止めるべきかと思ったが、やはり土手に上がらずとも手が届く距離だったためか、左翼手は労なく打球をつかみあげ、内野に返球した。私は今度もプレイにあわせてこれを流した。打者走者は三塁に達していた。

     ところが、プレイが落着してから左翼手と遊撃手が大きな声で、「審判さーん、ウチのルールでは今のは二塁打になるんですけど」と言ってきたのだ。グラウンドが静まりかえった。私は遊撃手を呼び、「初回も今もホームチームの君たちがプレイを続けたから僕は流したんだ。もしグラウンドルールを主張するなら、君たちも草むらに入ったボールを拾わないで欲しい」と伝えた。監督さんからの抗議もなく、選手達も納得したようだったので試合はそのまま続けられた。

     審判員はグラウンドルールを適切に適用する任務を遂行しなければならない。しかし、私にも非があるのだが、どうしても初めて行ったグラウンドでは遠慮が出てしまうことがある。選手や監督も、打ち合わせの時には「まあ適当にお願いします」などと言って真剣に取り合ってくれないことが多いからだ。公式試合を行うための専用球場ならともかく、練習グラウンドではルールに定められた条件を満たしていない場合も多々あり、こういう場合にはやはり遠慮をしていてはいけないのだという、良い反省材料になった。



     第14回 「退場処分」


     今年のシーズン中、個人的に特筆すべき事柄があったとすれば、それは審判になって初めての退場宣告を行ったことであろうか。アマチュア野球ではあまりないことだと思うので、ことの顛末を記録しておくのも何かの参考になればと思って紹介することにした。
     具体的な試合を特定できるような状況説明は省くが、今年の前半のことだったと思う。私が球審を務めていたある試合で、走者が守備妨害をしたかどうかが争点となるプレイがあった。私個人は守備妨害かとも思ったプレイだったのだが、判定を下すべき(つまり一番近くにいた)審判が自信を持って「守備妨害ではない」と断言したため、その試合を担当していた4人の審判が合議の末、当該審判の判定通り「ナッシング」(妨害も何もなかった成り行きのプレイ)として押し通すことにした。
     守備側が納得できないだろうことは充分承知の上だったので、監督の抗議は責任審判であった私が丁寧に対応した。話が平行線をたどるであろうことは最初から分かっていたが、「絶対に守備妨害だ」と主張する監督と、「当該審判が自信を持って下した『判断』なのだから覆ることはない」と説明する私との話し合いは5分ほど続いた。

     後で試合を観戦していた審判関係者にも話を聞いたが、その全員が守備妨害を支持したので、やはり感覚的にはそうだったのだと思う。しかし、審判員の「判断」に基づく裁定には誰も異議を唱えることが出来ないのが野球規則の原則である。もし限りなく「誤審」に近かったのだとしても、私は責任審判として同じクルーの下した裁定を護る必要がある。

     私の答えは変わらないし、監督の主張も変わらない。そのうち、監督も興奮してきて身振り手振りの技術論が始まった。私は時間の経過を考えながらそれを遮り、「今は技術論を交わす場ではないし、監督の主張が変わらなければ私の返答は変わりません。もし何か新しい主張があるなら最後にそれをお聞きしますが、これ以上同じ話を繰り返されるようでしたら、残念ながらこの場にいられなくなってしまいますよ」と言った。この時点では実際に退場宣告をするつもりはなかったのだが、一応警告を発したわけである。
     監督は勢い込んで話を再開したが、内容は先ほどまでの繰り返しであった。私がやはり同じ返答を繰り返すと「そんなの納得できないですよ」と言い始めたので、私は「あなたが納得するしないでプレイを進めるのではありません。あの人(当該塁審)が下した裁定が全てなんです」と言ったのだが、興奮した監督はその話を途中で遮るようにして自説を展開し始めた。

     「退場!」

     私は何の感情もなく宣告したつもりだったが、自分でも意外なほど大きな声になってしまったので、多少の気負いはあったのかもしれない。グラウンド中が静まりかえってしまったから、他の人からすれば「退場!!!!!」くらいに聞こえたのかもしれない。

     監督は「なんで私が退場にならなければならないんだ」と追いすがってきたが、「先ほどから同じ話の繰り返しです。これ以上試合の進行を妨げるならグラウンドにいてもらうわけにはいかないと言ったはずです」と言って追い払い、場内放送の設備がなかったので仕方なく公式記録員に「試合進行の妨げになったので退場処分としました」と報告して試合を再開した。

     ルールブックには「プレヤー、コーチ、監督または控えのプレヤーが裁定に異議を唱えたり、スポーツマンらしくない言動を取った場合には、その出場資格を奪って、試合から除く権限を持つ」と明記されている(規則9.01(d))。しかし、私は裁定に異議を唱えたことだけで退場処分を下したわけではない。あくまでもその異議に対する返答に「納得できない」と食い下がり、堂々巡りの議論を終わらせようとしなかったことでやむを得ず退場宣告をしたのである。

     残念なことに、野球関係者も一般のファンも、審判員は判定機械か何かのように思っている部分があるが、ルールの中で審判員が遂行しなければならない役割は、試合の円滑な進行である。そのためにひとつひとつのプレイに裁定を下していき、それが現実のプレイの結果に正確であろうという努力はする。しかし、その判断の解釈が違っていたからといっていちいち議論につきあっているわけにはかないし、それが試合進行の妨げになったら勇気を持ってその妨害者を試合から除かねばならない。
     日本のプロ野球では暴言や暴力による退場処分が多く、判定を巡る議論そのものが長引いたから退場という話はあまり聞かない。過去の話になるが、昔プロ野球のビッグイベントでひとつの判定を巡って1時間を超える中断があり、しかもその監督は退場処分にならなかったという出来事があった。ルールの精神からすればあり得ない話だが、現場の監督やプレイヤーも、そして驚くべきことに審判員すらもが、試合を円滑に運営するという原則を忘れてしまっているのではないだろうか。プレイボールからゲームセットまで滞りなく試合を行って勝負を決することが野球というスポーツの目的であって、我々は判定をひとつひとつ吟味するためにグラウンドに集まっているのではないのである。



     第15回 「本塁打なのにフェアの宣告?」


     一昔前まで日本の審判は、フェアを宣告するときには「フェア!」、ファウルを宣告するときには「ファウルボール!」と発声していたが、現在ではフェアの時には何も発声しないことになっている。これはアメリカのやり方に倣ったものだが、最近ではかなり広範囲に知られるようになっているようで、フェアの時に審判が元気良く「フェア! フェア!」と叫んだために、選手がファウルと勘違いしてプレイをやめてしまった例を見たことがある。

     フェアの時に何も言わなくなったのはアメリカのやり方に倣ったものだが、どちらにしてもグラウンドでは「F」音のフェアとファウルが区別しづらいということで、アメリカではノーボイスのフェアと発声するファウル、日本では「ファウル」の後段に「ボール」までつけて区別していたのである。
     しかし、かつての宣告用語の違いはともかくとして、このフェア/ファウルの判定については、日米の審判法の違いの中でも最も顕著なもののひとつだということはあまり知られていないと思う。

     具体例を挙げよう。たとえば右翼線にフライが打ち上げられ、ライン際で右翼手がこの打球を好捕したとする。責任分担として、四人制なら必ず一塁塁審がライン上を外野に向かって走り、この打球を判定するわけだが、日本ではまずキャッチアウトを宣告する。そして、記録員にフェアフライだったのかファウルフライだったのか(つまり捕球点がフェア地域にあったのかファウル地域にあったのか)を知らせるため、フェア地域かファウル地域をポイントする。
     ところが、アメリカ式では、捕球点のポイントの方を先にする。それからキャッチアウトの宣告をすることになっている。もしフェアフライだったら、多くの日本人が「あの審判はフェアのゼスチュアをしてからアウトの宣告をしたぞ」と思ってしまうところだろう。

     実は、このアメリカ式の方法は、ルールに忠実に従っているだけなのである。「捕球」というのはルール上、野手がグラブで確実にボールを保持していなければならないので、ボールをつかんだ瞬間には決められない。かならずある程度の時間を置かなければ判定することができない性質のものなのだ。しかし、フェア/ファウルの判定はそうではない。一定の基準を満たせば、地面や野手等に触れた瞬間にフェアのボールなのかファウルのボールなのかということは決まってしまうのである。だからアメリカでは「ルールに則って」、瞬間に判断できるフェア/ファウルを知らせてから、時間を置いて捕球の宣告をすることになっているのだ。

     また、審判学校で教わる二人制では、イージーな、誰が見てもアウトと分かるようなキャッチに対しては、ゼスチュアもコールも何もしないように教育される。だから、テレビで大リーグ中継など観ていると、フライアウトの時にフェア地域やファウル地域をポイントしているだけの審判員を多く見かける。また、完全な本塁打の時にフェアのポイントをするだけの審判員も多く、これなどは日本式のやり方でなじんでいる我々にとっては、どうしても違和感を覚えてしまうもののひとつと言えよう。

     アメリカ式のやり方は理にかなっていると思うが、我が国にも長い歴史があるわけだから明日から急に変えようといっても無理な話だろう。ただ、世界で「ほぼ」共通ルールの野球競技にも、そういった細かいルール解釈の違いがあるということは、もっと広く知られてもいいのではないかと思っている。

現連載

過去の連載

リンク