プレイボールとゲームセットの間に by 粟村哲志

    第26回 「ひとつの決意」

    第27回 「ルールクイズ」

    第28回 「メジャーリーグ審判員」

    第29回 「気持ちの切り替え」

    第30回 「変えられる判定と変えられない判定の違い」



     第26回 「ひとつの決意」


     リトルシニアの公式戦でのこと。私が出ていた試合ではないのだが、こんなことがあった。

     走者一塁から打者が三塁線に長打を放った。一塁走者は俊足を飛ばしてホームイン、打者走者も二塁を大きく回ったのだが、中継にボールが帰ってきたのを見て慌てて二塁に帰塁。タッグプレイとなって間一髪アウトかセーフかという状況になった。
     ところが目の前には審判がいない。誰も判定ができない。実はベースカバーのフォーメーションを間違えた審判がいて、二塁が無人になってしまっていたのだった。

     審判団はタイムをかけて協議を始めたが、守備側ベンチや応援席からは「アウトだよ!」「どうなってるんだ!」などの罵声が飛び続ける。しばらくあって協議がまとまり、問題のプレイは「セーフ」であったとの宣告が行われた。すかさず守備側の監督が抗議に出てきたが、責任審判から協議の内容を聞かされるとベンチに下がろうとした。
     そのときである。ベンチ内にいた年配のコーチが「引き下がっちゃダメだよ! 納得できないよ!」と監督をグラウンドに押し戻そうとする。そして、もう一人の若いコーチは「やってられるかよ!」とベンチを激しく蹴り上げた。河川敷の仮設グラウンドでのこと、その声は辺り一面に丸聞こえである。たちまち興奮は応援席の父兄や関係者に伝播し、守備側サイド(一塁側だったが)は一時騒然となった。
     しかし当該の審判団はミスをした負い目からか、目を伏せて見て見ぬふりを決め込み、プレイを再開しようとする。控え審判の人も青い顔をして様子を見守るばかり。たまたま居合わせた顔ぶれで一番立場が上だった私は、即座に守備側ベンチに赴いた。本当は二人のコーチをベンチから除くつもりだったのだが、監督さんに懇願されて、仕方なく注意だけ与えて引き下がった。

     ことの発端は当該審判のミスである。これは間違いない。なにしろプレイが発生した塁に審判がいなかったのだから、どんな素人にも一目で分かる、恥ずかしいミスである。そこで起きたプレイに対してアウトやセーフの宣告が行われなかった、このことはどんなに謝っても取り返しがつかないミスである。
     しかし、このミスは「取り返しがつかないミス」なのだということを認識しなくてはならない。どんなに責めても謝っても、過ぎ去ってしまったプレイは帰ってこない。だとすれば、審判団協議の結果判定を決めたのだから、その判定に従ってプレイを進めるしかないのだということを、誰も分かっていない。
     審判もボランティアなのだから、などという類の温情論的な庇いかたはしたくない。しかし、ミスをミスと認めて次善の策を講じて任務を遂行しようとする人を、どうしてあのように口汚く罵れるのか。いや、口汚く罵るのは仕方がない。しかし、「納得いかない」だの「やってられるか」だのといったことを言い続けてどうなるのか。いったいどうすればあの審判団は「許して」もらえたのだろうか。土下座すればいいのか、それとも死ねばいいのか。ここに書くのは憚られるほどの激しい人格攻撃の野次が飛び続けたのである。

     少年野球の世界でこれである。私は暗澹たる気持ちになると同時に、ひとつの決意を強くした。私が野球審判員としてどんなに小さな組織の、どんなに世間から認められない存在であっても、私は審判の立場からの提言を続けていこうと。何を大げさなと言われるかもしれないが、この閉鎖的な日本の野球界にあって、私ができることはトップレベルから野球を変えることではなく、底辺から変えていくことだと強く感じたのである。

     問題のプレイに関して言えば、ミスを認めて謝る時間が過ぎたら、あとは試合を進行する時間であると割り切らなければならなかった。謝って事情を説明し、それでも言うことを聞いてくれなければ順番にコーチを退場させて試合を進めなければならなかった。審判の立場と役割についてはこのコラムでも何度も書いてきたが、そのことをこれからもあらゆる機会に言い続けていこうと思う。



     第27回 「ルールクイズ」


     寒くなってくると野球はオフ・シーズンということで、普段は毎週毎週どこかのグラウンドで審判をしている私も、この時期ばかりは実戦から遠ざかる。仕事の間を縫うようにして、会議や新年会といった雑事がやってくるし、オフには講習会も多くなるので、忙しいことは忙しいのだが、イメージトレーニングや体力トレーニング、それにルールの勉強だけは怠らないよう心がけている。
     そこで、今回はいつもと趣向を変えて、ルールに関するクイズを出題してみようと思う。このメルマガの読者は相当な野球好きだと思うので、ぜひ挑戦してみて頂きたい。

    ---QUESTIONS---

    【Q1】打球がベースに当たれば必ずフェアである。○か×か。
    【Q2】打者がバントしようとしたら、誤って手で打ってしまい、しかもその打球がファウルになった。審判員のとるべき処置は?
    【Q3】一死走者3塁。右翼へ飛球が上がったため、3塁走者は本塁へ行きかけたが3塁に戻った。捕球後、右翼手からの送球は逸れ、ベンチに帰る打者走者にファウル地域で当たり、ボールはダッグアウトへ入った。守備妨害は宣告されるべきか?
    【Q4】攻撃側監督が選択権を行使できるのは、打撃妨害の場合だけである。○か×か。

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     それでは解答と解説を。

    ---ANSWERS---

    【A1】答えは×。塁ベースに当たった場合は1・2・3塁のいずれでも必ずフェア確定となるが、本塁ベースに当たった場合はフェアになるかファウルになるかまだ分からない。
    【A2】タイムをかけてボールデッドとし、打者のカウントにストライクを1つ加えて試合を再開する。2ストライクだった場合には三振でアウト。簡単に説明すると、打者に投球が当たった時点でまずボールデッド。ストライクの投球でなく、打者が投球に故意にあたったのでなければ「死球」となるが、このケースではバントを実行しているので、スイングしているからストライクと解釈する。打者が投球に当たった時点でボールデッドなので、フェアかファウルかは関係ない。
    【A3】問題文の状況から考えて、守備妨害は宣告されるべきでない。攻撃側の選手は守備の邪魔にならないように自己の占める場所を譲る義務があるが、このケースでは右翼手は明らかに本塁に向かって送球すべきであり、ボールが「逸れて」しまっている以上、ファウル地域をベンチに戻ろうとする打者走者がこれを避けなければならないとする義務は考えにくい。なお、プレイに関係のある場所で妨害してしまった場合には、たとえ故意でなくとも妨害を宣告される可能性がある。
    【A4】答えは×。攻撃側監督が選択権を行使できるのは、打撃妨害の時と反則投球の時である(規則6.08(c)および8.02(a)ペナルティ(c))。この2つのケースでは、打撃妨害や反則投球が行われたとしても、現実に打者が打撃を完了したとき、妨害や反則によるペナルティよりも打撃の結果を優先することを監督が選択できる。例えば、走者3塁で打者のバットと捕手のミットが接触しながらも犠牲フライを打ち上げ、得点が入ったような場合、打撃妨害によるペナルティを優先すれば3塁走者を戻し、打者走者を1塁に進めて走者1・3塁で再開するが、攻撃側監督はあえて打撃妨害をとらないで犠牲フライを生かすこともできるというような規則である。

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     Q1はジム・エバンス氏が来日した際のクリニックで聞いたクイズ、Q2は少年野球で実際にあったということで私のところに質問されたケース、Q3とQ4は米国マイナーリーグ審判がオフの間に課される宿題から抜粋した。お楽しみ頂けただろうか。



     第28回 「メジャーリーグ審判員」


     昨年11月に開催された日米野球の際、メジャーリーグ選抜チームに帯同して来日したMLB審判員に幸運にもお会いする機会があり、貴重なお話を伺うことができた。
     今回帯同してきた審判員は、テッド・バレット氏とジム・レイノルズ氏の2名。これまではどちらかというと全盛期を過ぎたベテラン審判員が帯同してくることが多く、熟練の技術を堪能できる良さはあったのだが、正直なところその審判ぶりを参考にするということはあまり期待できなかった。しかし、今回の2名はメジャー昇格からまだ10年経たないバリバリの若手審判員であり、グラウンドでの動きの一つ一つが本当に参考になった。
     たとえば、走者なしで内野ゴロが打たれた場合、球審は一塁線を時間の許す限り一塁方向に走り、打者走者の走塁を確認し、また悪送球への備え等をする。これは3フットレーンが始まる地点(本塁から45フィート地点)を目標とするのだが、数歩進んだだけでこの動きを省略してしまうベテランも多い中、2人は忠実に45フィート地点まできちんと走っていた。こういう点ひとつとってみても、極限まで高められたプロ意識を感じるのである。

     さて、2時間あまりの貴重な時間の中で聞けた話の中には色々と興味深いものが多かったのだが、いくつかご紹介しよう。どれも専門的な話ばかりなのだが、一番興味を引かれたのは、レイノルズ審判員の球審時の構えについてだった。レイノルズ審判員は球審のときに、両手を両膝の上に置いて構え、投球を見る。これは、片方の手を身体の前方に置き、もう一方の手を膝の上に置く基本の形とは異なる。自身も審判学校のインストラクターとして基本の構えを生徒たちに教えるレイノルズ氏が、自分独自の型を持つに至った理由は何か。それは、頭をブレさせないためだそうである。
     どんなプレイを見るときにも大切なのは目線をブレさせないことであり、投球判定においてもそれは変わらない。投手が投球動作を開始し、投球が捕手のミットにおさまるまでの軌道を、身体を動かすことなく目だけで追い続けることが大切なわけだが、レイノルズ氏は自身の弱点として、どうしても頭が動いてしまうことを感じ続けており、その弱点を克服するために、基本とは違うけれども両手を両膝の上に置き、上体をがっちりセットしてしまおうと思ったのである。ただ他人の真似をするだけの「型」ではなく、自分自身の問題意識から独自の型ができあがっていく、興味深いお話であった。

     ちなみにバレット氏の球審時の構えは非常にオーソドックスだが、工夫としては、きちんとセットするために早めに構えるようにしているという話だった。日本の投手は投球の間合いが長いため、米国と同じ感覚で構えているとずいぶん待たされて疲れたと笑っていたのだが。
     また、どんなときでも最適な角度を求めてプレイを見るように心がけているとか、その角度に対する考え方とか、色々なお話を伺ったが、ともかく何の話をしても高いプロ意識を感じて、とても参考になった。こういう貴重な体験から、また自分自身を高めていこうとする気持ちがわき上がってくるのが有り難いと感じた1日だった。



     第29回 「気持ちの切り替え」


     球審を務める際、投球の判定が上手くいくかどうかは精神的な要素が大きいと思っている。ストライク、ボールの判定というのは、試合に参加している全ての人が納得してくれれば誰も文句を言わないわけだが、なかなかそういう風にはならない。誰かが不満そうな顔をする。誰かがヤジを飛ばす。そういうものを目にしたり耳にしたりして、球審は何を考えるか。
     性格にもよるだろうが、「私の判定は完璧だ」「私は正しい判定を下している」と考える人もいるだろう。あるいは、「少し間違えてしまったのだろうか」とか「今日は調子が悪いな」と考えて、判定を少しずつ修正しようと試みる人もいるだろう。私もやはりそうで、どちらもありうる。しかし、投手も捕手も、打者も野手も監督も、みんな演技によって判定を有利に動かそうとしているかもしれないから、審判としては他人の顔ばかりうかがっているわけにもいかない。しかしながらプレイヤーや監督の反応から得られる情報も多くあるのは事実だし、考えれば考えるほど収拾がつかなくなっていく。

     ストライクともボールともいえるような球が来たときに、自分の調子がよければ、ズバリズバリとどちらかに振り分けていけるのだが、調子が悪いとどうしてもストライクゾーンは狭くなりがちだし、ひどいときには「どっちか分からん!」と思いながら見てしまうことも、ごくまれではあるがないことはない。
     そういう時はいつまでもいつまでも投球の残像が頭に残り続ける。試合中に絶えず頭の中でビデオのリプレイよろしく同じ投球の軌道が再生され続け、その度に「やはりボールをストライクと言ってしまっただろうか」「いやしかしあのくらいのコースはいつもストライクに取っていたはずだ」「いやいや、やはり広かったんじゃないか」などと思い悩み、とうとう最後には「もう二度とあの球が来ませんように」と祈ることになる。

     とはいえ、最近は余裕を持ってゲームをコントロールできるようになってきた。言葉で言い表すのは難しいのだが、しいて言えば「クヨクヨしなくなった」からだと考えている。迷うようなボールが来て、実際に判定を下すときに多少迷ったとしても、どちらかをコールしなければならないし、それは自分だけに任された仕事なのだから、自分の責任でどちらかを言えばいいだけのことだと割り切れるようになってきたのである。また、ひとつ迷ったり、ひとつ心配したと感じたとしても、いつまでもこだわっていても仕方がないから、切り替えて次の一球に集中しようという気持ちを早く作れるようになってきたように感じている。

     気持ちの切り替えが上手くないと審判の仕事は務まらない。いつまでも終わったことにクヨクヨこだわっていると、必ず第二、第三の失敗を引き起こしてしまう。私は普段から物忘れの良い方だが、たとえば他人と口喧嘩や口論などして気持ちが収まらないでいても、一晩寝れば忘れてしまうような性格なので、それも幸いしているのかもしれない。



     第30回 「変えられる判定と変えられない判定の違い」


     先日、若い審判仲間から質問を受けた。趣旨としては、同じクルーを組んだ先輩審判の裁定に疑念を感じたのだが、その場合、裁定を確認しに行ったり、4人集まって協議したりすることがあって良いのだろうかというものであった。
     公認野球規則9.02(c)は次のように定めている。

     「審判員が、その裁定に対してアピールを受けた場合は、最終の裁定を下すにあたって、他の審判員の意見を求めることはできる。裁定を下した審判員から相談を受けた場合を除いて、審判員は、他の審判員の裁定に対して、批評を加えたり、変更を求めたり、異議を唱えたりすることは許されない。」

     この文言だけを読むと、同じクルーの他の審判員の下した裁定に口をはさむことは一切許されないように感じるが、例外もある。メジャーリーグの審判マニュアルには、次のような趣旨の指示があるという。つまり、9.02(c)は大原則として尊重されなければならないけれども、訂正可能な明らかな裁定の誤りに対して、もし自分が、裁定を下した審判員が知らない重大な情報を持っていて、その情報を知らせることが得策だと確信した場合は、その情報をクルー内で共有するようにしなければならないというのである。
     具体的にはどういうプレイの場合かというと、アウトと判定されたが実はボールを落としていたとか、フェンスを越えた打球が本塁打か二塁打かとか、捕手がファウルチップを落球したのを球審が見逃した場合などがそれに当たる。
     言われてみれば納得なのだが、下された裁定が明らかに間違っていて、なおかつ、それが審判員の「判断」に基づくことでなければ素早く対処して訂正しようということなのである。「判断」によってアウト、セーフ、ストライク、ボール、フェア、ファウル等を決めたことは覆せない。しかし、中には変えられる判定もあるということだ。

     それはそれとして、しかしながら基本的には他の審判が下した裁定については、たとえそれがどんなものであろうとも、クルーの仲間が守っていかなければならないことを重ねて付け加えておく。今日初めて審判をする人でも、何十年のベテランでも、試合を任せられたならば一つ一つのプレイに対して裁定を下していって試合を円滑に進行しなければならない。そのとき、他人の判定に対する疑義を誰彼かまわず気軽に差し挟むような審判団であっては信頼も得られないだろう。
     身内をかばうということではなく、プレイの性質によって変更可能な判定とそうでない判定があるということだけご理解いただければ幸いである。ちなみに冒頭の仲間からの質問はこのようなものであった。

     「自分は二塁塁審をしていたのですが、一塁側ファウル地域に転じた打球が、ボールデッドを示すネットに挟まったように見えました。一塁塁審は何もコールせずプレイを流したのですが、自分からタイムをかけたり、事後に協議をしたりするのは間違っていますか?」

     私はこう答えた。

     「もし仮に、間違いなくボールがボールデッドになったと確信を持てる状況なら、口出しすることも選択肢の一つとしてはありうると思う。けれども、たとえ一塁塁審が経験が浅く、ルールの適用を誤っている疑いがあるにしても、一番近くで確認してインプレイと判断した彼の裁定は尊重されるべきだし、ボールデッドになった確証がないならなおさらだ。このケースで、アピールもないのに事後にクルーが集まって協議することを、あなたから要求するのは越権のように思われる」

     皆さんはどのようにお考えだろうか。

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