ICHILAUのスポーツ博物学 by ICHILAU

    第21回 2003シーズンのMLB記録諸々 〜その3〜

    第22回 道路でやるサッカー 〜その1〜

    第23回 道路でやるサッカー 〜その2〜

    第24回 道路でやるサッカー 〜その3〜

    第25回 道路でやるサッカー 〜その4〜



     第21回 2003シーズンのMLB記録諸々 〜その3〜


     さて今年最後の『スポーツ博物学』は、「MLB記録諸々」の最終回をお届けします。
     今回は比較的注目されない記録を取り上げます。

     昨年の「MLB記録諸々」ではキューバ出身のベテランスラッガー、ラファエル・パルメイロが8年連続38本塁打を記録し、あのベーブ・ルースの従来の記録を抜いた事をお伝えしましたが、そのパルメイロは、今年ジャスト38本塁打で、この半端な記録を守りました。
    「だからどうした」という気もしますが、パルメイロが38本塁打に達したと知った時には、ニヤリとした覚えがあります。
     来年40歳になるパルメイロですが、果たして私の期待に応えてくれるのか今から楽しみです(笑)

     昨年の「MLB記録諸々」でもう1名、半端な連続年本塁打記録を継続中とお伝えしたサミー・ソーサは、今シーズン、頭部への投球を受けてヘルメットを割られ、足の爪を剥がしてDL入りし、コルクバットを試合で使って出場停止となる、という散々なシーズンを送り、5年間継続した49本塁打以上の記録が途絶えてしまいました。
     しかし奇しくも、半端な連続年本塁打記録に関係するこの2人のラテン系スラッガー、パルメイロとソーサは、揃ってジミー・フォックスに並ぶ9年連続35本塁打100打点を記録しています。

     また個人としては散々なシーズンを送ったソーサですが、所属するカブスは素晴らしいシーズンを送り、地区優勝を果たしました。そして、ディビジョナルプレーオフでは番狂わせを演じ、ブレーブスを倒して見事勝ち上がりましたが、これは実に1907年以来、96年振りのポストシーズン勝ち上がりです。
     残念ながらカブスが不運な形でチャンピオンシップを敗退したので、カブスの連続リーグ優勝無し、連続ワールドチャンピオン無しの最長記録は継続してしまいましたが、ソーサ自身にとっては充実したシーズンだったといえるでしょう。
     苦難の連続だった今年のソーサですが、後半には成績を上げ、本塁打は40本に達しました。これで今年も本塁打王になったアレックス・ロドリゲス共々、6年連続40本塁打以上となります。ちなみにこの記録の現在の保持者はベーブ・ルースで、期間は7年ですが、この期間は、パルメイロが更新する前の連続38本塁打以上の期間でもあります。

     先日、オリオールズへの移籍が発表されたハヴィアー・ロペスは今シーズン、ブレーブスで故障に見舞われ、規定打席に到達する事が出来なかったにも拘わらず、出場できている間は驚異的なペースで本塁打を量産し、捕手の本塁打数としてはMLB記録となる42本の本塁打を放ちました。代打で打った1本を含めての43本塁打は、規定打席未到達者としては最高の本塁打数です(注:この記録に関しては公式なデータは見つからなかったので、44本以上の本塁打を打った全ての選手を確認して出した数字です)。

     もちろん、2001年のボンズの様に、最終的な規定打席(162試合制で再試合が無ければ502打席)に到達する前に今年のロペス以上の本塁打を量産した選手は他にもいますが、これらの場合は、シーズンを順調に過ごしていた最中の事でした。
     今年のロペスの様に30試合も欠場を強いられた選手がこれ程のパフォーマンスを維持するのは大変困難な事で、さらにロペスが、他のポジションよりも過酷なキャッチャーである事も考慮すると、この成績は驚異的といえるでしょう。今年のロペスに近い成績を残した選手としては、1973年のハンク・アーロン(465打席で40本塁打)、1995年のマーク・マグワイア(442打席で39本塁打)などがありますが、過去4年、24打数に1本塁打という低調なぺースだったロペスにとっては、大変な躍進でした。

     さて、残りの記録に関しては簡単に取り上げていきたいと思います。

     数々のチームで数々のポジションを経験してきたトッド・ジールは、今シーズン通算11球団目となるモントリオールで本塁打を放ち、自らが持つ「最も多くの球団で本塁打を放つ」と言う珍記録をさらに伸ばしました。
     来年で38歳ですが、まだまだ記録を伸ばしそうです。

     それから、今シーズン大躍進をしてアメリカンリーグの首位打者となったビル・ミューラーは、7月30日のレンジャース戦で、史上初の「左右両打席で満塁本塁打」を記録しました。
     スイッチヒッターのスラッガーはいつの時代にも存在していますが、その中で通算本塁打が二桁に過ぎないミューラーがこの記録を達成したのは、意外と言えるでしょう。

     あと、今年最後の記録は、松井選手も犠牲となった、アストロズ投手陣による6人でのノーヒッターです。
     6月11日に行われたインターリーグのヤンキース戦で、アストロズは先発のロイ・オズワルトが2回途中で故障降板したものの、2番手からピート・ムンロ、3:16さんの連載でも紹介されていたカーク・サールース、バード・リッジ、オクタヴィオ・ドーテルとつないで、最後は豪腕ワグナーが100マイル超の速球で松井を打ち取り、歴史的な「6人でのノーヒッター」を完成させました。6人でのノーヒッターはもちろん史上初ですが、ヤンキースがノーヒットに抑えられるのは実に1958年以来、45年ぶりのことで、ヤンキースタジアムに限れば、1952年以来51年ぶりの記録となります。またこの試合については、さらに、8回のマウンドに登ったドーテルが「イニング4三振」と言う珍記録を作るというおまけがつく結果になり、記録ずくめの試合となったのでした。

     今年最後の今号のトリを勤めることとなりましたが、みなさま、よい年の瀬をお過ごしください。そして来年もまた、よろしくお願いします。



     第22回 道路でやるサッカー 〜その1〜


     遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
     昨年は「ぼーる通信」をお読み頂き、有難うございました。
     今年もよろしくお願い致します。
     今回から、私が熱心に取り組んだあるスポーツの話題について連載します。

     日本の学校から早々に離れ、ホームスクーリングと言う特殊な環境で育った私にとって、日本の少年スポーツシーンは殆ど無縁でした。
     学校の部活動は勿論、少年野球のようなスポーツクラブにも入った事がない私にとってのホームグラウンドは、常に路上です。コンクリートの上で野球、サッカーなどの球技に親しんだ私にとっては、正規のルールやグラウンドで行われているスポーツは、小学校の校庭で行われている少年野球であっても、まるで別世界と言う感じでした。
     もちろん、友人の中には本格的にスポーツに取り組んでいる人もおり、競技経験者との路上や、砂利の公園での勝負は私にとって楽しい思い出ですが、常にコンクリートの地面と狭い面積によって、出来る事に制限を受けながら遊んでいたわけです。
     そして、その様な環境の中で、より面白くハイレベルなスポーツを楽しもうと色々と工夫を凝らし、その努力を纏めたものが、昨年お届けした「プロのピッチャーの球を体感しよう」の内容となりました。
     そして今回は、やはりに熱心に取り組んだストリートサッカーの話題です。

     コンクリートの路上や砂利の広場でのプレーに親しんだ私にとっては、Jリーグが頑張って普及に努めている芝生のフィールドも、少し濡れただけで滑りやすくなってしまうので(特に雑草が混じっている場所でプレーをされる場合はご注意下さい。なかでもクローバーが最も滑りやすく危険です)、むしろ足場の良いコンクリートの方が思いっきりプレーできるのですが、やはり、しっかりとネットの張られたゴールのある所でサッカーをするのは、正規のダイヤモンドで野球をするのと同じで、ささやかな憧れです。
     そんな私にとって、ブラジルを初めとする南米各国のサッカー界が送り出すクラック(Crack ラテン系の複数の言語において名選手を表す言葉。クラッキと発音する場合もある)の大部分が、私の置かれている環境と大して変わらない、ただの路上で世界最高峰の技を磨いていたと言う事実は大きな興奮でした。
     「私と同じ」ストリートサッカーの選手である彼らが、世界的なクラブの主力となり、代表とクラブの両方でタイトルを次々と獲得していると知った事で私のサッカー界に対する興味が大きくなったのを覚えています。
     ロナウド、リバウド、デニウソン(以上ブラジル)、リケルメ、ソラリ(以上アルゼンチン)、ピサロ(チリ)など贔屓の選手の名前を上げていったらきりがないですが、彼らクラック達のプレーは大いに私を惹きつけ、「彼らを真似してやろう」という意欲が湧きました。
     それと同時に、私にとって不思議だったのは、世界中でストリートサッカーが行われているにも関わらず、なぜサッカーシーンに送り出されるクラックは圧倒的に南米出身の人が多いのか、と言う事です。
     日本からイラクにサッカーボールが送られた、と言うニュースはみなさまの記憶にも新しいと思いますが、もちろんイラクだけではなく、サッカーは世界中で人気を集めています。そして中南米以外でも、中東や東南アジア、アフリカなど比較的貧しい地域の子供達はストリートサッカーを盛んに行っていますが、さて、成果はどうでしょうか?
     もし、路上や石ころだらけの空き地のような、劣悪な環境の中でサッカーをする事で丁寧なボールコントロールが自然と身につき、それが華麗なテクニックの基礎となるのなら、世界中からクラックが送り出されているはずです。
     現時点で、辛うじてアフリカからは、主に西アフリカから名選手が生まれていますが、いずれにしろ、強力な代表チームを同時に複数結成できるほどの層の厚さを誇るブラジルやアルゼンチンには到底およびません。
     しかし、逆に、ブラジルよりも遥かに優れた練習施設を誇る日本も、ブラジルの様にクラックを送り出しているわけでもないのが現状です。
     一体なぜ、南米の路上からばかり、次々とクラックが送り出されるのでしょうか?

     次回は、ブラジルを中心に、南米のストリートサッカーの秘密について探って行きたいと思います。



     第23回 道路でやるサッカー 〜その2〜


     皆さんこんにちは、ICHLAUです。

     前回から私ICHLAUにとって思い出深いスポーツである、ストリートサッカーについての連載をお読みいただいていますが、今回からブラジルサッカーを中心に、世界のサッカーシーンにおける「一大選手畑」となっている南米のストリートサッカーの秘密に迫って行きたいと思います。

     南米ストリートサッカーの秘密を解く一つ目のキーワードは“ラ・エスコセサ”です。
     サッカー王国ブラジルにサッカーが入ってきたのは、1894年スコットランド系のイギリス人でサンパウロの鉄道会社につとめる父をもつ、チャールズ・ミラーが留学先のイギリス南部サザンプトンからサッカーボールを2つサンパウロに持って帰ってきた時と言われています。
     その後、ブラジルに於けるサッカーはイギリス人中心のスポーツクラブの中で、クリケットやレガッタなどと共に広まっていきましたが、これは現在のブラジルサッカーの源流ではありません。
     後の世界最強のサッカー王国の源泉はサンパウロの遥か南東、ウルグアイの首都モンテビデオに、やはりスコットランド人によってもたらされました。

     『幸いにも、キケ・アランブルー自身が生ける記録だった。

     (中略)

     「私が見た初ダービー(*1)は、うち(ペニャロール)が2−0で勝った。その年はクラシコ(*2)が3度あったが、全部2−0で勝った。自分の選択は正しかったという証明だったね」
     初期の“英国時代”、フットボールはいかにも単純なスタイルで行われていた。
     「みんな、ただボールを追いかけるだけ。それが変わったのはジョー・ハーリーというスコットランド人がやってきてからだ。(*3)

     (中略)

     背番号5をつけた彼が紹介したのは、ショートパススタイルとうやつでね。まあ、ショートであれロングであれ、とにかくダイレクトでパスを交換するんだ。当時そのスタイルを“ラ・エスコセサ(スコティッシュ・スタイル)”と呼んだ所以だね」』
    【「南米蹴球紀行」40〜41頁から引用】

    *1 モンテビデオのライバル同士、ペニャロールVSナシオナルの試合
    *2 伝統の一戦。この場合はペニャロールVSナシオナル
    *3 ペニャロールのホームページで調べたところ、ジョー・ハーリーと言う人物は1911年までにペニャロールの前身CURCC=中央ウルグアイ鉄道クリケットクラブに加わっています。

     つまり、細かいテクニックが重視される今のブラジルサッカーに繋がる流れは、スコットランドからモンテビデオを経由して南米に広まっていった様です。
     サッカーと同じ様な経緯で、同じ年代に南米に入ってきた他の英国産スポーツ(クリケットやホッケーなど)と違って、サッカーが南米の庶民の間にも浸透していった背景には、クリケットなどと違って、狭い場所でもプレーを楽しむ事が出来るスポーツだったからでしょう。
     そして、庶民がサッカーに親しむ事が出来たのは、彼らに取って馴染みの深いサッカーが、イギリスの古いスタイル(ロングボール中心。当然ながら広い整備されたスペースを必要とする)のサッカーではなく、ショートパス中心の、細かく奔放なテクニックを多用する、むしろ狭いスペースと劣悪なグラウンドでこそ、技が磨かれるスタイルのサッカーであったからと私は考えています。

     1924年の夏季五輪パリ大会に、サッカーウルグアイ代表は、南米勢として初めて出場しました。
     この南米サッカーが欧州で披露された大会で、ウルグアイ代表との対戦を控えたユーゴスラヴィア代表(当時)の関係者が、ウルグアイの練習風景を見て、彼らのプレーが余りにも自分達の知っているサッカーと違っていたので、呆れ返ってしまった、と言う逸話が残っていますが、ウルグアイはこの大会をショートパス中心のスキルフルなサッカーで制し、今も続く南米VS欧州の戦いの火蓋は切っておとされました。

     南米にこの様なスタイルのサッカーが広まっていったのは、今回述べたような要因があってのことでしょう。
     実際“ラ・エスコセサ”の到達地(モンテビデオ)から地理的に離れていたブラジルは、初期の南米サッカーシーンにおいてラプラタ河の両岸に首都を置く強豪二カ国(ウルグアイ、アルゼンチン)に遅れをとりました。
     しかしブラジルサッカーには、南米の他の強豪国には存在しないもう1つのキーワードがあります。
     次回はそのブラジル独特のサッカーのキーワードである“ジンガ”の話をしたいと思います。

    【参考文献】

    「南米蹴球紀行」 クリス・テイラー著 東本貢司訳 ケイブンシャ



     第24回 道路でやるサッカー 〜その3〜


     皆さんいかがお過ごしでしょうか?
     まだまだ寒い日もありますが、セパ両リーグの開幕並びに、MLBの日本開幕戦も間近に迫り、いよいよ球春到来ですね。
     さて、今回は南米ストリートサッカーの秘密に迫る連載の第三回です。
     前回は南米に、細かく奔放なテクニックを多用するサッカーが広まって行った歴史をご紹介しましたが、今回はブラジル独特のサッカーのキーワードである“ジンガ”の話をしたいと思います。

     この“ジンガ”がブラジルの庶民の間に浸透していった事こそが、今日、ブラジルサッカーが偉大な地位についている大きな要因です。
     “ジンガ”とはポルトガル語で「千鳥足」を意味する単語ですが、アフリカからブラジルにつれてこられた黒人奴隷が、ブラジルで発展させた「ダンスに見せかけた格闘技」カポエイラの動きが元となったプレースタイルです。
     カポエイラの特徴について簡単に説明を致しますと、

    1 奴隷が、雇い主に練習している事を隠すために発展した、ダンスの様な激しい動き。
    2 手を縛られたまま闘うことを前提としている事。
    3 基本的にディフェンスをせず、全ての攻撃を避ける事を前提としている事。

     などです(カポエイラの詳しい解説については、こちらをご覧ください)。
     そのカポエイラにルーツを持つ独特の動きのサッカーへの応用が“ジンガ” です。

     ちなみに、このカポエイラと“ジンガ”の関係については、不正確な情報も発信されており、混乱があるようですので、ここで整理しておきたいと思います。
     “ジンガ”の特徴は、ボールをキープしながら、ボールに触れず、脚や身体を動かして相手を混乱させるフェイントにありますが、その様なフェイントの名前自体が“ジンガ”ではありません。
     “ジンガ”とは選手に染み込んでいるスタイルの事ですので、特定のプレーを指して「今のが“ジンガ”だった」と言う様に使うのは間違いであり、「あの選手には“ジンガ”がある」と言うのが正しい“ジンガ”に対する認識です。
     日本人のみなさんにわかる様に例えるなら「あの球は速い」と「あの投手は速い」との違いに近いのではないでしょうか?

     サッカーと“ジンガ”に関する、もう一つの混乱は“ジンガ”と言う名称が引き起こしています。
     それは「カポエイラの基本的なステップが“ジンガ”である。」と言うものですが、この解説は半分正しく、半分間違いです。
     確かに、カポエイラの最も基本的なステップの名前は、「ジンガ」ですが、この「ジンガ」はサッカー選手の“ジンガ”とは直接関係はありません。上記のサイトの中で、カポエイラのステップである「ジンガ」の動画を見る事ができるのですが、その動きはサッカーと言うより、スピードスケートをスローモーションで見ているような動きです。

     実際、カポエイラでサッカーにおける“ジンガ”に通じる動きが見受けられるのは、「ジョーゴ」と呼ばれるカポエイラの組み手の中で、お互いの選手(カポエィリスタと呼ばれています)が、踊るようなステップで、飛んだり跳ねたり回転したりしながら、相手の身体に当てないように、際どい蹴りを出し合う姿にあります(同じく上記のサイトの中で迫力のある動画を見る事が可能です)。

     “ジンガ”のあるブラジル人クラックは(Crackについては1月分を参照)、ボールに対して特別な感覚を持っていて、自分が触れていないボールの動きをも掌握し、身体を揺らしたり、ボールを繰り返しまたいで見せたりする事で、相手を惑わし、翻弄して抜いていく訳です。
     その動きのルーツはカポエイラにあり、ブラジル人選手は、殆ど意識する事なく、ボールを使ってカポエイラをしている様にも見えます。

     ユニークなのは、この“ジンガ”が基本的にブラジル人にしか存在しない、と言う点です。
     ブラジル人以外の選手が“ジンガ”の特徴があるプレーをしているのを目にする事もありますが、これは単に真似しているだけの偽者だそうです。
     本物の“ジンガ”はほとんど無意識にプレーの中に盛り込まれていくようで、ただボールを繰り返し跨いで見せたりするだけでは“ジンガ”とは言えません。
     そして面白いのは、同じ南米の強豪でクッラクを数多く排出しているアルゼンチンの選手には“ジンガ”が全く存在していない事です。アルゼンチンの選手も、「本物」と言える優れたボールコントロールを見せますが、ボールに触れないフェイントはほとんどせず、ボールを細かく触りコントロールをします。
     ブラジルとは明らかに異質のスタイルなのです。

     カポエイラは基本的に勝敗をつける事をしないそうですが、サッカーにおけるカポエイラの業績はW杯優勝5回と言う事になるでしょうか。
     抑圧を受けた奴隷達が作り上げたスタイルが、今や世界の頂点を極めたのです。
     めでたし、めでたし。

     とは、行きません。
     この理論には1つ大きな穴があります。
     それはブラジルにおけるカポエイラの普及度です。
     ブラジルサッカーがカポエイラの大きな影響を受けたのは間違いありません。
     そして、ブラジルのサッカーが路上にルーツを持つ、庶民の暮らしぶりに密着したスタイルであるのも間違いありません。
     この2つの事実から推測すると、ブラジルの選手達は少年時代にカポエイラに触れて、その動きを吸収しているはずです。つまり、ブラジルの少年達にとってカポエイラは馴染み深いものであるはずです。
     ところがここに大きな穴があります。
     日本ではカポエイラの情報は少ないため、ブラジルに行った事がなく、ポルトガル語が出来ない私には、ブラジルにおけるカポエイラの普及度を調べるのは困難でした。
     しかし、ありがたい事に、個人的な知り合いの中に二名ブラジルで育った方がいましたので、そのお二人にお話を伺った所、異口同音の答えを聞くことができました。
     「ブラジルではカポエイラはマイナーであり、盛んな場所があってもそれは局地的である。」と言う事です。
     つまり、ブラジルのサッカー選手達が、直接カポエイラに接していた可能性はかなり低いと見る必要があります。
     では何故、そしてどうやって、ブラジルのサッカー選手達はカポエイラから大きな影響を受けたのでしょうか?
     その答えこそが、「一体なぜ、南米の路上からばかり、次々とクラックが送り出されるのでしょうか?」と言う1月の連載初回の最後に出ていた問いの答えに迫る鍵でもあります。

     その答えは次回のお楽しみです。



     第25回 道路でやるサッカー 〜その4〜


     皆さんこんにちは、如何お過ごしでしょうか。今回はストリートサッカーの連載の最終回です。

     前回はブラジルサッカーと、ブラジルの格闘技カポエイラのかかわりについて述べました。
     ブラジルの独特のサッカーのスタイルは、カポエイラに背景を持つ動き“ジンガ”が大きく関係していますが、ブラジルのサッカー少年達がカポエイラに接する機会は殆どないので、直接カポエイラに親しむ事で“ジンガ”を身につけているわけではない、と言うのが前回の結論でした。
     そして、そのブラジルのサッカー少年達がどうやってカポエイラの影響を受け“ジンガ”を身につけているのかが、今回へ持ち越された宿題です。

     ブラジルでは、少年サッカークラブの練習は殆ど実戦形式で、特別な練習は殆ど行っていないそうです。つまり、日本では行なわれていない様な練習メニューがブラジルで行われているわけではなく、当然ながら、“ジンガ”が身につく様な練習メニューがブラジルに存在している、と言う事実はありません。
     したがって、例えば日本のサッカーのコーチが“ジンガ”に着目して、理論を作り上げようとしても無理な訳です。

     ブラジルのサッカー少年達がどうやってカポエイラの影響を受けているのか。結論を言えば、それは先人達のプレーからです。

    「世界サッカー紀行2002」245頁ブラジルの項から引用

     『子供たちはプロ選手のプレーをスタジアムやテレビで見て、それを翌日のストリートサッカーで真似する。大人たちはテレビを見ながらプロ選手のプレーを批評する。それを聞いて、子供たちはいいプレーと、悪いプレーを理解する。』

     ブラジルのサッカー少年達は、プロ選手のプレーを直接見て、その批評を聞き、良いプレーと悪いプレーの違いを知り、ストリートサッカーでそれを真似する事で、“ジンガ”が継承されていきます。
     ただ、この事だけで、この連載の結論とする事は出来ないでしょう。
     ブラジルにいなくても、ブラジル人のプレーを見る事が出来ますし、なにもブラジル人を手本にしなくても、サッカーをしている人は世界中にいるわけですから、ブラジル人だけが手本になるわけではありません。
     ブラジルの子どもだけが手本に恵まれているとは言えない以上、「一体なぜ、南米の路上からばかり、次々とクラックが送り出されるのでしょうか?」と言う疑問の答えはまだ出ていません。
     また、メディアの充実している日本のサッカー少年なら、世界レベルのプレーを見る機会は充分にあります。
     世界のスーパープレーを見て吸収するチャンスは、日本にいても変わらないはずです。
     しかし、このような状況にもかかわらず、ブラジルをはじめとする南米各国のクラックたちに日本の選手は全く歯が立たちません。
     一体何故でしょうか?
     この問いに対する答えは意外な所にありました。

     先月号で「ありがたい事に、個人的な知り合いの中に二名ブラジルで育った方がいました。」と書きましたが、何を隠そうその内の1名が我が編集長のMB Da Kiddさんです。
     MBさんはブラジル時代のストリートサッカーの話を私に直接して下さった事もありますが、ぼーる通信掲示板にも大きなヒントがありました。

     「で、同じストリートサッカーでも、東南アジアとブラジルが決定的に違うと思われるところは、その『奔放さ・積極さ』と『認知度』だと思います。ブラジル人ははっきり言って、非常に奔放で目立ちたがり屋のヤツが多いんで、けっこう個人技とかで目立とうとするのですが、国民の鑑賞眼というものが、日本人が野球に詳しいように、磨かれている部分があるので、ストリートレベルでも、試合となると、最終的には『秩序』が生まれてくるんですね。」

     「ストリートサッカーというものは、ブラジルの場合、広場でもアリだし、石とか缶とかを2つだけ置いて、そこをゴールにしちゃったり、します。前者だと、いろんなヤツが集まるので、組織プレイなどを体感学習するには絶好だと思いますが(中略)、さまざまなプレイを試すことができません。逆に後者だと、組織プレイは学べませんが、個人的なテクニックを躊躇なく試すことはできます。」

     実はこの書き込みをたまたま見たことがこの連載を始めるきっかけになったのですが、この実体験に基づく書き込みを見て、ブラジルから創造性とテクニックに溢れる選手が無尽蔵とも言えるほどに輩出されている理由に肉薄する事が出来ました。
     ブラジルのサッカー少年達はただサッカー漬けになっているのではなく、自ら「目立ってやろう」「凄いプレーをしてやろう」と言う意欲が、非常に強いと言えます。それと同時に、上の引用の通り、彼らはサッカーのプレーの良し悪しを、自分自身のプレーではなく、プロのプレーから学ぶので、自分の失敗が非難される事はなく、失敗を恐れて、自分のプレーに制限をかける必要もないのです。
     その結果、高い技術と、多彩なアイディアと、それを平然をやってのける精神力をもった選手が生まれてくるのです。
     つまり、ブラジルのサッカーのプレースタイルは、基本的に自分の意思で作り上げたオリジナルであるので、日本の様に若いうちからコーチの指導を受けた選手達とは明らかに差があります。それは、母国語として身に付けた言語と、勉強して覚えた言語との違いと同じ様な物と言えるでしょう。
     日本語を母国語としていなければ、どんなに言語に長けている人でも、日本人と日本語を競うのは困難なのと同様に、どんなに優秀なコーチについて良い環境でサッカーを学んでも、ブラジルのストリートサッカーで鍛えた連中相手では分が悪くならざるを得ません。
     サッカーを教え込まれた選手でなく、自分で身をもって覚えた選手でなければ、「本物」と言えるプレーをするのは難しいのです。
     実際、クラックを送り出しているもう1つのサッカー大国アルゼンチンでは、「生きた手本」となる選手にカポエイラの影響が及んでいないため、先人に続く「本物」のプレーをする人たちには“ジンガ”が存在していません。
     このような背景もつ南米の路上から生まれた「本物」のプレーをするクラックに、日本の様な”指導”を受けている国の選手が太刀打ちできる日はまだ相当先のことでしょう。
     コーチが努力をすればするほど、「本物」とは言えないプレーが身に付いてしまうからです。
     しかし、コーチの”指導”などとは無関係に、自由にボールを蹴っている人間には大きな喜びがあります。
     これこそが、サッカーが偉大である点だと、私は確信しています。

    【参考文献】

    「世界サッカー紀行2002」 後藤建生著 文藝春秋社
    世界をリードする ブラジルサッカー アデマール・ペレイラ・マリーニョ (著) 日本文芸社


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