ICHILAUのスポーツ博物学 by ICHILAU

    第26回 日本でやるサッカー 〜その1〜

    第27回 日本でやるサッカー 〜その2〜

    第28回 日本でやるサッカー 〜その3〜



     第26回 日本でやるサッカー 〜その1〜


     こんにちはみなさん。
     前回までは「道路でやるサッカー」と題してストリートサッカーに対する私の想いと、南米のストリートサッカーがクラック(*1)を無尽蔵に生み出す秘密についての連載を続けさせて頂きましたが、今回はその南米のストリートサッカーの秘密を踏まえて、これを日本でも実践するにはどうすれば良いかについて語って行きたいと思います。

     ぼーる通信の読者の方々の中にはサッカーに携わっておられる方もいらっしゃるかも知れませんので、まず明確にしておきますが、私は、サッカーのコーチをした事はありません。編集長の連載に登場した「アフリカ野球友の会」の関係で野球初心者の方に野球を手ほどきをした事はありますが、本格的にサッカーのコーチをした事はないのです。
     また、1月分で書いた通り、本格的にサッカーの指導を受けた事もありません。
     したがって、日本のサッカー教育とは殆ど無縁の私がサッカーのコーチングを語っている事を最初にご承知おき下さい。

     南米のストリートサッカーの秘密を探る連載を続けるに当たって、私は比較対照として、南米のストリートサッカーとは対象的な「本物とは言えない」テクニックの選手を輩出する、日本の少年サッカーについての情報も色々集めました。その過程で、南米のストリートサッカーと日本の少年サッカーの違い、また、どの様な要因が日本のサッカー選手の足枷となっているかが、見えて来ました。

     南米のストリートサッカーが、日本の様な比較的サッカーが後進の国はもちろん、サッカーの本場イングランドや、世界最高峰の育成機関を誇るオランダをも上回る勢いでサッカー界に逸材を輩出している事、そして、その秘密については前回までに述べましたが、その内容について簡単におさらいすると、

     1 南米に広まったサッカーのスタイルが、“ラ・エスコセサ(スコティッシュ・スタイル)”と呼ばれる、短いパス中心の、場所を取らず、むしろ狭い場所で磨かれる細かいテクニックが重んじられるスタイルであったために、練習のために整備された場所を利用できない庶民でも、一流のテクニックを体得できた事。
    2 1の要因もあって、経済的に不安定な南米にあって、サッカーが他のスポーツに先んじて浸透し、熱狂的な支持を受けた事。
    3 2の通り、サッカーが大変根強い支持を集めているので、南米にいるサッカー少年達は、プロ選手の「生きた手本」に恵まれていると同時に、社会にサッカーが浸透しているので、サッカー少年達の身近にサッカーの知識が深い人が多く、プレーの良し悪しの判断も身に付く事。

    などです。

     ブラジルの少年サッカークラブの練習の大部分が単純な実戦形式である事は前回お話しましたが、他にも、殆ど実戦形式のみで行われているアルゼンチンの名門、リーベルプレートの育成機関の練習風景が日本のテレビで放送された事もありました。
     そのような形で練習している選手は、すでに路上で確かなテクニックと、自分のスタイルを身に着けているのですから、特定の技術を身につけるための反復練習の必要がないのは当然でしょう。そして、当然ながら、彼らのやり方を日本にそのまま持ってくるのは、まず不可能です。

     確かに、近年サッカーのトッププレーヤーの日本における知名度は、飛躍的に上がりました。ベッカムやジダンやロナウドと言った名前を知らない日本人を探す方が難しいでしょう。
     しかし、本質的にサッカーを理解している人はまだまだ少ないのが現状です。

     日本で少年サッカークラブに入る子どもは、ブラジルの様にサッカーを覚えられる環境にいた訳ではなく、クラブに入る事でサッカーのキャリアをスタートさせるので、その時点では、サッカーをわかっていないのが普通ですから、コーチが率先して、基本的な事を教えなければならないのは仕方がない事です。
     ブラジルの様に、集まった子どもを二つに分けて実戦形式の練習をやらせるだけでは、駒の動き方を教えないまま将棋をやらせるようなもので、全く練習にはならないでしょう。
     日本の少年サッカークラブでは子どもに対して、特定の技術の反復する練習を中心に丁寧にサッカーの基礎を教えています。
     Jリーグ等の努力でサッカーへの理解が深いコーチが増えて来たのは事実ですし、「練習中は水を飲んではいけない」とか「走れ走れ!」と言うような迷信は過去の物になりました。
     しかし、その様な古い考え方の代わりに入った新たな考え方に問題があると私は考えています。
     それについては次回に譲ります。

    【参考web】

    ジュビロ磐田・Jリーグアカデミー



     第27回 日本でやるサッカー 〜その2〜


     こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。
     日本のプロ野球界はオリックスと近鉄の合併問題で大荒れですが、私の連載はその余波を全く受けないテーマですので、平常通り、前回の続きをお届けします。

     前回は、ストリートサッカーの流れを汲む南米の少年サッカーと、ストリートサッカーの影響をほとんど受けていない日本の少年サッカーの違いについて書きました。そしてJリーグなどの努力で近代的なコーチが増え、古い考え方が過去の物になりつつある事も書きましたが、その近代的な「新しい」考え方にサッカーを指導する上での問題がある、と言う私の見解を前回の最後に書きました。
     かつてスポーツ界に広く存在した「練習中は水を飲んではいけない」と言うような馬鹿馬鹿しい迷信は過去のものとなりましたが、その代わりにサッカー界に入ってきたのは、理論、理論!理論!!です。

     書店に行けば少年サッカーに関する本を多数見つける事ができますが、インターネット上でも数々の理論、練習メニュー、サッカー用語を見る事ができます。その内容は、チーム戦術はもちろん、個人の技術、さらには道徳(フェアプレー精神や、「サッカーと通じた人間性の形成」、勝利至上主義への批判など)にまで及んでおり、中には「創造性」まで指導してくれる場合もあります。ですが、「創造性」など他の人に教えられる様なものではないのは当たり前の事であり、また日本サッカー界のトップ選手達の「創造性」の欠如を見るにつけ、「創造性を伸ばす」指導方針はおかしいと私は思っていました。
     また、フェイントや蹴り方まで細かく反復して教え込もうとするやり方では、選手達は教えられた事しかできず、単調なプレーに終始してしまう原因となると考えていましたが、この連載を通じて南米のシンプルな練習メニューのみが行われているサッカーの練習を知った事で、ますますその事への確信が強まりました。
     そして、そんな私にとって決定的とも言える出来事に先日めぐり合いました。

     私がアフリカ野球友の会の練習に参加させて頂き、野球になじみの薄い方々に野球の手ほどきをした事は先月号に書かせて頂きましたが、MB編集長の連載にある通り、元名野球選手にして名監督、そして日本一の打撃コーチ山内一弘さんがアフリカの方々を指導される為にアフリカ野球友の会の練習に来ておられました。
     私からすれば山内さんは雲の上の存在でありますし、練習の間も練習が終わった後も山内さんの周りは常に人だかりが出来ていましたので、私などがお話を伺うチャンスはありませんでしたが、私と山内さんの帰りの電車が途中まで同じであったので、電車のなかで貴重なお話を伺う事が出来ました。
     当然ながら、山内さんは大部分は野球の話題をされていましたが、その中に、今回の連載の鍵である日本のサッカーと南米のサッカーの根本的な違いをハッキリと浮き彫りにする、重大なヒントがあったのです。

    「元々自然な動きを理論として説明しようとすると、逆に難しくなってしまう」

     これが、数多のプロ野球選手の打撃を指導された山内さんの仰っていた事です。(*1)

    (*1)この発言は公の立場でされたものではありませんが、MB編集長の計らいで、次のアフリカ野球友の会の練習の時に山内さんから直接ぼーる通信に掲載する許可を頂きました。

     私は既に過去の連載の中で、以下の様に書いていました。

    「サッカーを自分で覚えた選手でなければ、「本物」と言えるプレーをするのは難しいのです。」
    「このような背景をもつ南米の路上から生まれた「本物」のプレーをするクラックに日本の様な国の選手が太刀打ちできる日はまだ相当先のことでしょう。コーチが努力をすればするほど、「本物」とは言えないプレーが身に付いてしまうからです。」

     しかし、サッカーよりもより理論化が可能な野球の打撃における第一人者中の第一人者である山内さんの話を伺って、むしろ日本のような国で「サッカー教育」を受けると、「サッカーが上手くなれない」と言う弊害があるのではないかと思えてきました。
     野球ですら元々自然な動きを理論として説明することに弊害があるのなら、より自然な身体の動きや発想が重要となるサッカーでは尚の事、元々自然な動きを理論として説明する弊害が大きくなると思います。

     私はこの連載を書く過程で色々なサッカーの教本を読みましたが、その中で最も参考になったのは「世界をリードする ブラジルサッカー」(アデマール・ペレイラ・マリーニョ著)という本です。
     この本の第一章の第一項の第一行にはこう書いてあります。

    「残念ながら、サッカーは教えられるスポーツではありません。」

    この一節ほど、今回の連載の役に立った一節はありませんでした。
     ほかの少年サッカー教本には基本的な技術を反復して教える練習法や大人数で行う複雑な練習メニューが書いてあり、指導者に対する心構えも色々書いてありましたが、この「世界をリードする ブラジルサッカー」は他の小学生向けの本に比べて、単純でシンプルな練習法が「あくまで参考」と言う前提で出ていました。
     「ブラジルの少年サッカーでは単純な練習メニューをやっているんだな」というのがその本を読んだ時の私の感想でしたが、この時私は1つの見落としをしていました。それは同書の前書きに書かれていたこの一言です。

     「本書は高校生、および基礎体力をつけた人を対象として書かれたものです。小学生には同じ動作を繰り返すと体に支障きたす練習もあります。」

     しかし、私が読んだその他の本(著者には日本人以外にもアメリカ人とイギリス人がいました)には、「世界をリードする ブラジルサッカー」にて小学生は支障きたす可能性があると書かれている練習法より、複雑な練習方が大量に書かれています。そして私自身が目の当たりにした少年サッカーの実態も、同じ状況でした。
     この様な状況で「先進的」なコーチ達の数々の「理論」に囲まれた日本の少年サッカーの選手達が南米の選手の様な高い技術と創造性を備える事ができないのは、当然と言わざるを得ません。それは、単にブラジルの様なテクニックと創造性を磨けるストリートサッカーの環境が日本にないというだけではなく、本来「教えられるスポーツではない」サッカーを「教えよう」としている事に問題があるのではないでしょうか。

     この件については、面白い文章がもう1つあります。

     元リーベルプレート・ユース監督ホルヘ・ブスティ氏の一言(スポーツナビの吉村憲文さんのコラムから引用)

     「才能は教えてどうこうすることができるものではありません。私はよくサビオラに言ったのですが、どうしたらボールをそれほど弾ませずトラップしコントロールすることができるのか?って」

     アルゼンチンの名門クラブで、育成機関にも定評のあるリーベルプレートのユース監督が自分の教え子にこのような質問するのは、普通の感覚では笑い話ですが、この態度こそが選手の才能を伸ばすポイントになるのではないでしょうか。「本物」と言えるプレーをするクラックのプレースタイルは基本的に自分だけのものであり、「教わる事」も「教える事」も出来ないものです。したがって、先進的なコーチからサッカーを「教わっている」日本のサッカー選手達が南米のクラックを越える事は絶対にありえないのではないかと私は考えています。

     しかし、これで結んでしまっては、単に日本のサッカー界の現状を批判しただけで終わってしまいます。
     次回は、「教えず」にサッカーを指導する方法についての私の案を書かせて頂きたいと思います。



     第28回 日本でやるサッカー 〜その3〜


     皆さんこんにちは、ICHILAUです。
     前回までの連載で、日本の「先進的」なコーチが、本来「教えられるものではない」サッカーを教えようとする事の弊害について書きました。
     「先進的」な理論がはびこる中いろいろなメニューを反復する事で身につけるような練習では、選手達は教えられた事しかできませんし、また本来自然な動きに「理論」を付けてしまっては、南米のクラック達が見せるような自然で「本物」と言えるプレーをするのは不可能である事を前回までに書きました。
     一方で日本には南米のようなストリートサッカーで技術を身に付けられる環境がないので、日本の少年サッカークラブが南米の育成機関で行われているような自由に才能を伸ばす練習をしたくても、クラブに入ってくる子供達自体にサッカー経験が皆無であることが多く、伸ばすべき才能自体が存在しないケースはままあり、単純に南米の真似をしたからと言って成功するわけではないのが現状です。
     そこで、その様な状況の中で「教えず」にサッカーの基礎を指導し、才能を伸ばす方法についてこれから書いていきたいと思います。

     さて、この事は生きた人間を相手にする事ですので、いくら机上で論を組み立てても、仕方がない事でしょう。
     5月号で私は、「日本のサッカー教育とは殆ど無縁の私が、サッカーのコーチングを語っている事を最初にご承知おき下さい」と書いていますが、実はこの連載と前後して、今回の連載を通じて学んだノウハウを試してみる機会がありました。
     ホームスクーラーの集まりで、上は11歳から下は4歳の10人以上の子どもにサッカーを指導する機会があったのです。

     一応、「初心者向け」のグループも用意しましたが、私がみた「普通クラス」も基本的に誰でも参加できるようにしていたので、参加した子ども達の能力はまちまちとなり、既にサッカーの経験があり、安定した技術を持っている子から、度々パスを手で取ってしまって、その度に「サッカーとは何ぞや」と説明しなければならなかった子までいましたが、全員に同じ練習へチャレンジしてもらいました。
     「世界をリードする ブラジルサッカー」には、年長や上級の選手とプレーする事の大切さが書かれていたので、それにならった形です。

     さて、練習を始めるにあたり、自分自身で注意したのは次の点です。

    1 子ども達に退屈をさせない
    2 子ども達から自分で考える余地を奪わない
    3 (手を使わない限り)子ども達に自由にプレーしてもらう
    4 上達できるように仕向ける。
    5 決して、怒鳴るなどの高圧的な態度をとらない。

     ウォーミングアップの後、まずパスの練習を行いましたが、先月号でご紹介した山内一弘さんのお話や「世界をリードする ブラジルサッカー」で読んだ事を踏まえ、日本の少年サッカークラブで行われているような単純な反復練習は一切やりませんでした。
     この様な練習を行うのはそれぞれの子どものスタイルを築く邪魔になりますし、誰にも邪魔されない状態でボールを正確に蹴れても、実戦ではあまり役に立ちません。また、決して面白いやり方とは言えないでしょう。
     その代わりに行ったパス練習は「ロンド」或いは「真ん中の豚さん」、「鳥かご練習」と呼ばれている方法です。

     この練習方法では、一人の鬼を、残りの人たちが囲んで、ボールを鬼に取られないようにパスを回していくのですが、その際、各選手のボールへのタッチ数を一定以下に制限するのです。
     そして、鬼にパスを取られた人が鬼と交代をして練習が続きます。
     上級者なら1タッチでも可能ですが、我々は2タッチ以内と決めて行いました。

     この方法だと、選手達が繰り広げる動きは実戦に近く、それぞれの選手は、鬼の動きを見ながら、自分で考えてパスを出さなければなりません。
     はじめのうちは、何も考えず鬼目掛けて蹴っている子もいましたが、練習を重ねるうちにちゃんとパスが繋がるようになり、練習を終える頃には20本位はパスが通る様になりました。
     また、パスが流れてしまった時には、複数の子どもが自然と連携してフォローをしていましたが、これは大きな成果だと思います。
     前述した通り、この練習方法には色々と名前が付けられており(我々は、呼びやすい事もあり「ロンド」と呼んでいます)、色々な本で紹介されていましたが、その中には「何本以上パスが繋がったら、鬼に罰を与える」とか、「鬼が股を抜かれてパスを通されたら罰を与える」などのルールが「面白くする方法」として記されていました。
     しかし、その様な事をして、パスを失敗して鬼と言う立場にいる子どもにさらに屈辱を味あわせるのは良い事とは思えませんし、その様な「面白くする方法」を用意しなくても子ども達は真剣にやってくれましたので、シンプルにパスを交換するだけで十分でした。
     参加した子ども達のスタイルはまちまちで、明らかに直した方が良いように見える蹴り方をする子もいましたが、パスが通っている限りは良しとしました。
     以下の文が私の頭にあったためです。

     世界をリードする ブラジルサッカー 82頁より

    「サッカーは結果がすべてなのです。
     どこで蹴るか、どの部分で止めるかよりも結果を大切にしましょう。」

     指導者に忍耐がもとめられる様な場面ですが、子ども達が悪い蹴り方の「結果」としてパスに失敗する事から、自分で学ぶ事を期待して、口を出すのは我慢しました。
     パスの練習が終わってからは「シュート練習」「ドリブル練習」などは、行わず、直ぐに実戦形式の練習に移りました。
     しかし、ただ実戦練習をやっては、以前に書いた通り、単に蹴りあっているだけで練習としての効果は薄いので、直前のパス練習が実戦で活かせるように、「ロンドゲーム」と言う特殊な実戦練習を考え、行いました。
     「ロンド」と同様に、一人ないし二人と、残り全員に分かれ、大人数のグループはボールへのタッチ数が制限されていますが、「ロンド」と違って実戦同様2つのゴールを用意して、少人数グループ(鬼チーム)も、大人数グループも、ゴールを決める事が目的となります。鬼チームは自由にプレーしてゴールを狙いますが、大人数グループは限られたタッチ数の中でパスを繋ぎ、ゴールを目指します。そして、大人数グループでゴールを決めた選手が、鬼チームと交代をしてゲームを進めました。
     実際に行った時は比較的上級者が参加して1対5で行いましたが、2タッチ以内ではまだついていけない子もいたので、3タッチが好ましい様に感じました。

     「ロンドゲーム」が終わった後、完全な実戦練習に移りました。
     その際注意した点は次の通りです。

     1 なるべく拮抗した試合が続くこと
     2 ゴールが多く決まること

     両チームに戦力差があり、一方的な試合が続けば、勝っている方には練習になりませんし、負けている方には不愉快なだけです。
     したがって、両チームの戦力はなるべく拮抗していた方が好ましいのですが、戦力を拮抗させるための工夫として、参加した子ども達を2チームに分けて試合を始めた後、「どちらかのチームがゴールを決めたら、相手のチームはゴールを決めたチームの選手を一名引き抜ける」と言うルールを定めました(ただし、上手い人が繰り返し引き抜かれるのを防ぐために、ゴールを決めた選手は引き抜けない事にしました)。
     このルールだと、優勢に試合を進めているチームは選手が減っていき、苦戦しているチームは戦力が充実していくので、拮抗した試合が続きます。
     また、色々な人とチームを組めるので参加した子ども達に好評でした。

     もう1つ注意したのは、ゴールの大きさでした。
     普通、少年サッカークラブでは小さなゴールが使用されますが、私は違う考えでした。
     再び「世界をリードする ブラジルサッカー」からの引用です。

     82頁

     「シュートで大切なことは『ボールをゴールに入れること』です。
     トゥーキックで蹴ってもいいし、ゴールの中までドリブルをしてもいいのです。
     サッカーは結果がすべてなのです。
     どこで蹴るか、どの部分で止めるかよりも結果を大切にしましょう。
     練習では能力を高めること、試合では自分の能力を生かすことを注意しましょう。」

     194頁

    「どんな小さな試合でもプロのゲームはカケの対象となっているブラジルでは結果がすべてなのです。
     だからこそシュートは「打てー」ではなく「入れろー」となるのでしょう。
     トラップでもそうです。50m以上ものロングパスを胸でピタッと止めたとしても、「今のはスルーした方がよかったんじゃないの」と結果重視の見方をされます。」

     この部分は「目から鱗」でした。
     奔放なスタイルのブラジルサッカー界が実は非常に結果重視と言うのは驚きでしたが、その定義が「ゴールを決める事」であり、プロセスを問わずゴールを決めるという結果が重視される事が、ブラジルが無尽蔵とも言えるほどに決定力の優れた選手を輩出している大きな要因といえるでしょう。
     指導者がプロセスを重視し過ぎると、指導者のエゴが選手の可能性を摘む結果になりかねません。
     もちろん結果を重視しすぎる事にも問題が生まれる事もありますが、ブラジルの場合は、「才能のある子が自分のスタイルを貫いても、ゴールが決まれば非難されない」だけではなく、むしろ「賞賛をされる」環境にあるので、自分のスタイルでゴールを決められるFWが輩出され、ブラジルは旧宗主国ポルトガルの様な「華麗なる敗者」に終わらず、奔放なテクニックと圧倒的な決定力で世界の頂点に君臨しているのでしょう。

     この様な事を踏まえ、私が実戦練習で用意したのはフットサルのゴール(横幅3メートル)より広い横幅4メートルのゴールでした(工事用のコーンを並べた簡素なものですが)。
     子ども達にゴールを決める喜びを多く体験してもらいたかったと同時に、「ゴールを決める事を学ぶにはゴールを決めるのが一番」と考えたのです。

     この実戦練習を心行くまで楽しんで、サッカークラスは終わりました。
     まだ、成果はわかりませんが、子ども達に楽しんでいただき、才能を伸ばす機会を与える事はできたと思います。

     1月から続いた身近なサッカーに関する連載は今回で終わりですが、『ICHILAUのスポーツ博物学』も今回で区切りとなります。
     2002年の3月に、ぼーる通信の創刊と同時に『ICHILAUのスポーツ博物学』が始まった時点では、私は単なる文章の素人でしたが、今日に至るまで2年と4カ月もの間お付き合い頂き本当にありがとう御座いました。
     これからも、「ぼーる通信」へのご支援をよろしくお願い致します。

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