子供たちに残したい野球 by きよし@川口市

    第1回 この国で野球が文化であるためには

    第2回 球場で五感+1を養おう!

    第3回 東京城北の地から憧れたY.O.K.O.H.A.M.A.

    第4回 フェンス越しの選手とファンのDISTANCE



     第1回 この国で野球が文化であるためには


     初めまして、きよし@川口市と申します。この度、このメールマガジンにて「子供たちに残したい野球」というテーマでエッセイを執筆させて頂くこととなりました。読者の皆様、宜しくお願いいたします。

     今、私は「もっと早く子供の頃から野球に親しんでいれば良かった。」「もっと早くに野球からこんなこと学んで知っておけば、少しはマトモな大人になったのに!」なんていい年こいて舌打ちしている始末なのです。と言うのも、小学校中学校の頃、友だちに誘われれば観戦しには行ったけど、むしろ格闘技や体操のような個人技の方に興味があり、野球に入れ込み始めたのは高校になってからだったのです。

     みなさん、野球は好きですか?このメルマガを読んでいるのですから、もちろんですよね。じゃ、友達や野球チームメイトだけじゃなく、お父さんお母さんと楽しく野球の話をしてますか?お父さん、お子さんとキャッチボールしてますか?私は元々はただ単に、ヤクルト・スワローズが好き!というのがきっかけで、今でもいち野球ファンなだけですが、月日が経つにつれ、プロスポーツ、特に「プロ野球」は球場内外で起こっていること全部ひっくるめて、私に色々なものを与えてくれたことに気づいたのです。で、「文化」とか「時代が変わっていく様」と言うものが、好きな野球の話を通して次の世代の人たちに伝えていくことも、野球好きオヤジの役目じゃないかと思ったわけです。

     じゃ、「文化」って何なの?と調べると、

    (1)〔culture〕社会を構成する人々によって習得・共有・伝達される行動様式ないし生活様式の総体。言語・習俗・道徳・宗教、種々の制度などはその具体例。文化相対主義においては、それぞれの人間集団は個別の文化をもち、個別文化はそれぞれ独自の価値をもっており、その間に高低・優劣の差はないとされる。カルチャー。
    (2)学問・芸術・宗教・道徳など、主として精神的活動から生み出されたもの。
    (3)世の中が開け進み、生活が快適で便利になること。文明開化。
    (4)他の語の上に付いて、ハイカラ・便利・新式などの意を表す。「―鍋」(三省堂、大辞林第二版より)

     う〜ん、世の中を開け進ませるものってことは、音楽・文学・文芸・ファッション・食生活他、色々ありますが、スポーツも文化の中のひとつと言っていいと思います。この国の場合、サッカーや野球、相撲などのスポーツも当てはまると言っていいと思います。
     難しい話になっちゃいますが、生まれてから死を受け入れる事により、環境に順応したりしながら遺伝子を種族の次々へと伝えて進化していくってこと、その条件のもとに遺伝子を細胞核の中に持っている生き物は、みんな一律です。けど人間は、他の生き物と同じく形ある肉体とか環境だけをバトンタッチして行くだけでなく、形のある無しに関わらず「文明」「文化」というものを残し、その次の時代、その次、と伝えて時代を生きた証を作って行くのです。

     それと、精神的活動から生み出されたものってことは、人には他の生き物にない「情動」(感情を動機として起こる行動も含む)があって、「本能」だけでも「思考」だけでも、もちろん「情動」だけでも生きられないのが人間で、「良い文化」なら本能と思考・情動の間にあるものを埋めて、人々の心を開かせてくれる役目があるなどと考えたりします。

     また、時代が変われば人々の価値観も変わり、文化も変わってくる。だから文化を伝えるには男女年上年下お友達関係なくConnection(人、地域、ものごととの関わり合い)とCommunication(情報、考えを伝え合うこと)が大切だと思うのです。

     とか言って、タイソウな大風呂敷を広げているくせに、実はまだまだ勉強中な私なのですが、音楽とか文学とか心の動機とか、自分が触れ合い体験し感じた社会や文化の移り変わりなどもリンクさせた視点で「日本のプロ野球」についてお話させていただき、私も学ばせていただきたいので、どうかしばしおつきあいの程、お願いします。



     第2回 球場で五感+1を養おう!


     私は首都圏のサラリーマンです。ですから朝、満員電車に乗って会社に出かけます。すごく混んでいる電車の中で、時々、とても厳しい顔をして頭の良さそうなおじさんが日本経済新聞を大きく広げて読んでいます。それを見て、私の胸の中の子供が「どんなにお仕事ができて良い新聞で勉強して偉くなったって、自分の周りがどうなっているのかも感じられない鈍感な大人にはなりたくない」と呟くと、私の頭の中の大人が「この人も時間がなくって、お仕事に追われたりとか、家族のためとか、色々と大変なんだよ。」と、会話する時があります。

     最近、「五感の癒し」なんて言葉を耳にします。五感というのは、見る・聞く・触る・嗅ぐ・味わうの5つですが、毎日同じような行動パターンに感覚が鈍ってしまい、お仕事に疲れた方たちが、五感をバランスよく感じるために、郊外で自然と触れ合ったり料理やモノを作ったりして、本来の健康な感覚を取り戻そうというわけです。これは大人だけに限らず、育ち盛りのお子さんに、特に大切なバランス感覚です。毎日勉強で教科書・ノートの文字を見つめ、勉強に疲れたら、テレビゲームで同じ音楽の繰り返しを聴きながら、また目を使う。こればかりやってたいら、五感のうちの目ばかりたくさん使って疲れて、感覚のバランスが悪くなるでしょう。私が中学時代、受験勉強で目が疲れたら、友達が「遠くの緑色のものを5分でも見つめるといいよ」と教えてくれました。私が子供のときは、よく両親に東京都23区内の外れに田園風景のある所が結構あって連れて行かれ、木や草や虫と戯れ、川の水を感じ、草の匂う風の中で質素だけどおいしいものを食べさせてもらったものですが、今はなかなか近場でそんな所もなく、あっても混んでいたり、少し遠出をするにも時間がないという状況なら、寂しい限りです。

     神宮球場の外野席に行ったある日、ふと思ったことがありました。人気カード以外の時は結構通路も広くて、子供たちがメガホン叩いて喜んでいる。ある家族は手作り弁当を広げ、お店も縁日の屋台みたいに良い匂いがして、観客席に風が舞っているのを感じ、グラウンドに目をやると180度広がったパノラマに、緑とどこまでも続く漆黒の夜空があって、カクテル光線に照らされた選手たちが所狭しと躍動しているではないですか。「あ、これって、五感を感じる全部、そろってるじゃん。」って思いました。音の方は、応援がうるさいとか色々あるでしょうけど、最近はそれも合間ができて、外野からあの「カキーン!」っていう音も時々ですが聞こるようになったことには、少々喜ばしく思いました。

     本当は自然と遊ぶ方がいいのでしょうけど、都会の中、大人1,500円子供500円で、この広がる風景と下町夜店の屋台感覚の匂い、喜怒哀楽の発散が許されるなら、儲けものかもとも思い、贅沢を言わせてもらえば、天然芝の草の吐息の匂いが風の中に感じられればなあ、と思うのは私だけでしょうか?何もプロ野球の球場だけじゃなくてもいいと思うんです。例えば河川敷の少年野球を見に行くのでも。他の屋外スポーツもいいですが、野球にはフッと我に返るような「間」がある分だけ、五感を感じられる余裕があるのではないかと思います。

     そして、もうひとつ私が野球の試合で発見したのは「第六感」です。これは多分に私の父のヘボ解説による影響が大きいのですが、例えば「ここで1球内角高め速い球で外したら、内角カーブか外角低め直球でオシマイだ。」「え?何でわかるの?」「2アウトランナー2塁、売出し中だけど若い左打者とベテランの左投手だ。ファーストが1塁ランナーもいないのにあれだけラインに寄っている。レフトは少し前進したろ。どっちにしても若い打者は打ち気を外されたら迷う。ピッチャーとバッターだけじゃなく野手の動きを見ろ。これを超えられたら良い打者への道だ。」という具合です。今でも確かに弱いチームは守りで押されると、野手の微妙な守備位置の動きが止まる傾向があるなと感じ、ピッチャーがイライラしたそぶりから、チームのコミュニケーションが上手く行ってなくてやられるな、と直感した瞬間、「ガチーン!」と白球はスタンドへ。「第六感」で試合を見るなんていうのも私の野球を観る楽しみのひとつです。


     「驚きの感覚は我々の第六感であり、自然で神聖な感覚である」

     

    ―D.H.ローレンス 


     私は第六感とは、驚きとか直感とかゲームなどの「読み」といったものではないか、と思っています。
     勉強やテレビゲームもいいですけど、お父さんお母さん、テレビ観戦ばかりでなく、たまには屋外の球場に連れて行ってあげて、お子さんの「五感+1」を養うのも良い機会かと思いますよ。



     第3回 東京城北の地から憧れたY.O.K.O.H.A.M.A.


     ここに1枚の古いLPレコードがあります。タイトルは「Y.O.K.O.H.A.M.A.」、柳ジョージ&レイニーウッド。柳ジョージさんは横浜市出身。1978年12月に発表した「雨に泣いている」が大ヒット。この曲もクレジットされ、1979年3月に発表されたアルバムです。その「雨に泣いている」発表の1978年には、茅ケ崎市出身の桑田佳祐さんのサザン・オールスターズがデビュー、同年大ヒットした矢沢永吉さんの「時間よ止まれ」のシングルB面は「チャイナタウン」でした。プロ野球では、ヤクルト・スワローズが、球団創設以来初のリーグ優勝、日本一になるなど、この年は私にとって忘れられない年となったのです。そして、1978年4月4日に、日本初の多目的球場、横浜スタジアムの完成に伴うこけら落しとして横浜大洋ホエールズvs読売ジャイアンツの試合が行われました。

     この「Y.O.K.O.H.A.M.A.」、1曲目から「プリズナー」という哀歌(バラッド)から始まり、「チャイニーズ・クイーン」、最後は「FENCEの向こうのアメリカ」・・・思春期当時、貧乏で行動範囲が狭く、「東京=日本」などと思っていた世間知らずの私には、「中国の女王?壁の向こうにアメリカが?」という感覚は、当時全く理解できませんでした。「一体、“横浜”ってどんな所なんだろう?」と。そしてその年の秋の横浜スタジアムでのジョイントコンサートで、柳さんの素晴らしいサウンドをバックに、テレビに映ったスタジアム周辺の情景がとても鮮やかに感じられ、私は「憧れの横浜へ行ってみたい!」と思ったのです。

     場面は変わって、私の育った街は東京の城北、田端高台と言われる地域でした。当時「東京のオアシス」などと形容され、古くは「田端文士村」と呼ばれていて、芥川龍之介宅跡や陸奥宗光邸跡の旧古河庭園、柳沢吉保別邸の六義園、渋沢栄一邸跡の飛鳥山などが近い所です。私の小学校の裏手には、野球を愛した明治の歌人・正岡子規さんの墓石もあります。けど、一般庶民的な感覚ですと、私の幼年期から思春期にかけては、つげ義春さんの漫画に時折描かれているような、懐かしくも寂しげな武蔵野の街の面影がだいぶ残っており、住民や私の友人の家庭もさまざまで、職人さん、小売り商店、国鉄(現JR)や専売公社(現JT)の寮、四畳半アパート、皇族に仕える家から、狭いトタン塀の家に大所帯で暮らす人々など、様々でした。庭で電気ゴーカートを乗り回せる家の子もいれば、小学校に入学しても6色のクレヨンさえ買ってもらえない子もいました。幼くして台東区根岸から越してきた私には、下町とも山の手とも言えない街。当時の私を育んだ街を形容するなら「雑多な階級の人々が共存する街」と言うところでしょうか。

     そんな私が初めて足を踏み入れた横浜の街は、驚きの連続でした。中華街では学校の校庭でクンフーを練習する少年、怪しげな香りのするアジア系雑貨店、店頭の肉まんの味さえ違いました。生き生きと闊歩する背の高い異邦人たち、外国人墓地の十字架の墓、モダンな赤レンガ倉庫、山下公園と港の客船。私の育った街が「階級の共存」なら、横浜は「異文化の人々が共存する街:中華街のアジアの顔、山手の欧州の顔、本牧の米軍基地跡のアメリカの顔」という、当時の私には未知の世界でした。そして中華街の東へ少し歩けば、横浜公園の中に横浜スタジアムが街の仲間としてあるのです。また、この公園には日本で初めて野球場が造られたという、日本の野球史には欠かせない貴重な歴史があるのです。

     そして、その横浜スタジアムでの横浜大洋ホエールズの応援は、大漁旗を掲げた一本気な「海の男たちの声」とも感じた声援をバックに選手たちは躍動しており、これも私の育った東京城北の街にはなかった、日本の漁労民族文化の部分とも言えるようなものも見せてもらった気がしたのです。

     そんな「世界の文化」と「海洋」の雄大さに反して、球場外野席は急な勾配でとても狭く、売店も少ないことや、当時広いと言われたけど今はやや狭ささえ感じる人工芝のグラウンドには、もったいなさを感じましたが、この環境の中で「プロ野球」が街の文化と共存し受け入れられていることは、私には「無い物ねだりだ!」と言われようと、今でも羨ましく思うのです。思春期の私は正に「井の中の蛙」でした。けど、「井の中の蛙」だったからこそ、近くて遠い街・横浜の良さに「驚き」を感じることが出来たのだろうと、今更ながらに思います。

     今や横浜くらいなら私の埼玉の自宅からでもさくっと行けてしまう時代ですが、今でも独特の風物や文化は息づいている街で、その中にある「横浜スタジアム」と「横浜ベイスターズ」。昨今様々な問題が噴出し、今年のチームの戦績も芳しくはありません。が、球団関係の方やオーナー会社は是非、この素晴らしい「独自の文化・YOKOHAMA」の中に住む人々に受け入れ愛されるチーム作りをもう一度考え、この街の中にある「野球」を大切にして欲しいと願って止まないのです。



     第4回 フェンス越しの選手とファンのDISTANCE


     1978年、後楽園球場での阪急ブレーブス対ヤクルト・スワローズの日本シリーズ第7戦の試合開始前のことです。外野でアップを続けるブレーブス・山田久志投手に子供ファンたちが外野フェンスに乗り出し「山田さ〜ん、今日の先発だ〜れ?」と叫ぶと、山田投手はにっこり笑って自分を指差しました。その試合、先発は足立投手で、有名な長時間抗議の後、左の松本投手をはさんで、山田投手の登板。そんな抗議の一件もあったことから、私は「こら〜!山田〜!子供に嘘つくんじゃねぇ〜!」と野次ってしまいました。今から思えば、大変失礼なことを言ったものだと思うのと同時に、多くの偉大な選手でも緊張する「真の決戦」日本シリーズ第7戦に、そんなそぶりも見せずに子供ファンを大切にすることを忘れなかった山田久志投手の心の広さに今も敬服しています。

     そんな時代、中日ドラゴンズの近藤貞雄監督は、代打策を激しく野次った自軍ファンに、その代打が成功するや、ネット越しにそのファンに「ざまあみろ!」とばかりに唾を吐きかけたなど、笑っていいのか嘆いていいのかわからないようなファンとチームの間のエピソードがたくさん転がっていました。また、読売ジャイアンツがV9を達成した1973年10月21日の甲子園球場での阪神対読売戦で「あと1勝で阪神優勝」という直接対決で阪神完封負けの結果に怒り狂ったファンがジャイアンツベンチになだれ込むとか、のどかだったはずの外野席が芝生の頃の神宮球場でも、不甲斐ない負け方をしたビジターチームのバスをファンが取り囲みモノを投げつけるという物騒な事件もありました。そこで私は考えるのですが、いつからこんなに球場で選手とファンの距離が離れてしまったのだろう、と。

     最近インターネット上、新聞、雑誌などで多く見かけるファンのプロ野球側への要望はこんなところだと思います。

    1.球団、日本プロ野球機構はファンの声を聞け
    2.セ・パ交流試合を実現せよ
    3.巨人中心の日本プロ野球から脱却せよ
    4.選手、チームとファンの交流の場をもっと増やせ
    5.応援団、フェンスのネットを排除して、メジャーリーグスタイルにせよ

     など、まだまだたくさんありますが、これらはいずれも、日本プロ野球機構、球団、チーム、球場、選手へ「求める」ものです。けど、いちファンとしてちょっと私は考えてしまうのです。自分を含めてファンは果たして「求める」だけで「与える」ことを本気で考えているのだろうか、と。

     確かにファンはプロスポーツを行う側からは「お客さん」です。そしてインプレー中は選手そのものに「商品価値」があり、試合という「ショー」を演じる選手への野次もおひねりもOKとは思います。けど、プレーの声がかかる前の練習の間や試合後、私たちファンは選手や監督、コーチらを一人の社会人として対等に敬意を払っているのかと考えさせられてしまうことが、よくあります。試合後、グラウンドにメガホンを投げ込むなどはもってのほかと私も思いますし、さらには小学生・中学生が、例え新人選手でも社会人である選手に対して呼び捨てにするような教育を誰がしているのだろう、もしかしたら子供たちは私たち大人の真似をしている「鏡」なのではないか、と球場で考えさせられることがしばしばあります。そしてそれはそのまた次の世代の子供ファンのフェンス越しの距離をもっと遠ざけてしまうのではないかと思ってしまうのです。

     1999年8月7日の千葉ロッテマリーンズ対日本ハムファイターズの試合後、

    「オレはまだあきらめてないし、ウチのチームはあきらめてません。僕たちがこうして力を発揮出来るのは、ファンの皆さんの声援なんですよ。・・・最後までがんばるぞぉ!」

     という黒木知宏投手のヒーローインタビューでの熱い名文句は、その前年の1998年7月7日までの屈辱的な18連敗という記録の間、「俺たちがついてるぜ!」というメッセージを掲げ、苦境の最中でも熱心に応援してくれたファンへ感謝でもあったそうです。女優の藤原紀香さんは「その人が逆境に立ったとき、その人の本当の姿が見える」という意味のことを言いましたが、愛するものが逆境に立ったり悲嘆に暮れたとき、私たちに何ができるだろう、それはただ単に応援だけなのか?あのマリーンズの現象は単に応援だけでなければ、チームとファンのフェンス越しの距離が、本当は何によって縮まったのだろうと。

     1試合外野自由席で1,500円、けど、永きに渡って多くの選手や監督が私に与えてくれた、無形で価値の付けられない宝物に見合うお返しが、私にはいまだに出来ていません。


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