スポーツというおしごと by らい

    第1回 グラウンドキーパー 〜その1〜

    第2回 グラウンドキーパー 〜その2〜

    第3回 グラウンドキーパー 〜その3〜

    第4回 グラウンドキーパー 〜その4〜

    第5回 客席案内人スーパーバイザー 〜その1〜



     第1回 グラウンドキーパー 〜その1〜


     グラウンドキーパーはもしかしたら一番選手と同じ視線で試合を見れる席にいるのではないでしょうか?球場整備員といったほうがいいでしょうか?芝を刈ったり肥料を撒いたり、水をやったり、土をならしたりする体力仕事が多いです。実はグラウンドキーパーをやりたいというよりプロの野球を目の前で見たいという願望がこの仕事を始める時の正直な気持ちでした。
     1994年の三月に二年間勤めた職場を離れてしばらく職業安定所(職安)と図書館を自転車で往復する毎日でした。実の話、自分の町で野球場が改装されることに伴いプロ野球の公式戦を呼ぼうということが新聞で書かれていたのを覚えていて、もしかしたら野球場完成の際にはなにか仕事の募集などないかな?と考えていたのは確かです。でも実際は色々と仕事を探していました。いいガタイしてるから自衛隊にこないか?と職安の中で誘われてワザワザ実家にまで来て説明しにくると親から「あんた、自衛官にでもなるの?」と言われ冷や汗をかいたものです。毎日、職安で一番最初にチェックするのは新着情報でいつも朝の開始時に公開されるので朝早くまるで学校に通うように職安に通っていました。

     そんなある日、とうとう忘れられない日がきました。新着情報のコーナーになんとグラウンドキーパー募集のお知らせが・・・。これは僕の為の仕事案内だ!と勝手に決め付けて興奮しながら職安の係の前の席に座って、この仕事の空きがあるかどうか探してもらいました。ラッキーにも僕が最初の応募者らしく、興味があるならすぐ来て欲しいと言われ、自転車で30分かけて、球場では無く市から委託された会社の入り口を叩きました。実はその時背広などは着ておらず、すごくラフな格好で職安に行っていたので面接で、服装のことで落ちてもしかたないだろうなあと入り口を叩いていた時には後悔していました。
     小さい会社なので、いきなり社長さんと会い社長室で面接が始まりました。仕事の内容、なぜこの仕事をしたいのか?などの動機などを聞かれて自分が思いつくままに答えていました。面接のテクニックなどのマニュアル本がそのころ出版されていましたが、まったくそんな本は読んだことも無く、自分の正直な気持ちでいこうと決めました。

    「君は野球が好きか?」

     と言う質問にはここぞとばかり自分の思いをぶちまけました。
     自分は将来海外で野球関連の仕事に就きたい、その時このグラウンドキーパーの経験は無駄にはならない、北国に住んでいる為、球場は冬季間閉鎖になる為、季節労働扱いになるが自分は次の年には海外に出る予定だったので季節労働は大歓迎であるなど・・・。

     いま思うと自分でも無茶苦茶な事を言っていたなあなどと思いますが、その当時は本気でした。その後、しばらくして野球好きの社長さんと野球の話などをしていました。自分でも思いがけないほど楽しい野球談義をしました、面接をいうことも忘れて。しばらくしてから会社の方が部屋に入ってきたのでここはやはり面接会場なんだなと思い直して社長さんの反応を待ちました。

     「それでは、5月半ばから球場をオープンさせる為に四月からグラウンドの整備をしなければならないので、来週に球場に来てもらえますか?」

     と言われて、

     「え?」

     と聞き返すと、

     「来週から球場で働いてもらえますか?」

     と言われ、ようやく採用されたことが判りました。今でも覚えているのですが、あまりにもうれしくて会社のすぐ近くにある公衆電話から親に、

     「受かったよ、それもグラウンドキーパーさ!」

     などと言ったら、

     「あら、良かったね。寝坊しないで仕事に行きなさいよ!」

     と社会人の大先輩からありがたいアドバイスをいただきました。

    (続)



     第2回 グラウンドキーパー 〜その2〜


     函館千代台公園野球場、別名オーシャンスタジアムは長年の老朽化の為、改築されました。
     プロの公式戦を呼べるように国際規格に合わせ、両翼99.4メートル、センター122メートルの大型球場、観客動員数も最高二万人と、地方球場の中では大きいほうでした。そこでこの球場のこけら落としが五月終わりにあるため、まずはそれまでに張ったばかりの芝を寝付かせることに専念しました。
     北海道の五月は桜や夏の花が色々と混ざり、一気に春と夏の色が登場します。そんな中、タンポポは雑草類の中でも一番目立つ上に芝生の天敵である為、この駆除が大変です。
     除草剤を使いたいのですが、これを使うと芝生の方も傷めるかもしれないので、一つずつ根から取ることにしました。オーシャンスタジアムは日本の典型的な内野土、外野芝生というスタイルである上にファウルグラウンドにまで芝があるので、オープンまでは外野とファウルグラウンドは雑草取り、肥料まき、散水、草刈りをやらなければなりません。また内野はレーキングという土を起こし、下の土に酸素を入れてやわらかくしてやる作業とその間にでてくる石を取り除く作業をする必要があります。
     更にネクストバッターズサークルとキャッチャー後方のファウルグラウンドが人工芝という特殊な形の為、トラクターを使い、レーキをかける時に人工芝の上を通らずレーキをさせるという運転をしなければなりませんでした。
     こうして、僕の野球場での日々が始まったのです。

     一応仕事は、試合の無い日は朝9時から5時というので昼にはちゃんと昼休みがあり、試合がある日はその試合にあわせるスケジュールになりました。試合の無い日は草刈か肥料撒きのどちらかを午前中にし午後にはその続きと細かい雑用が続きました。皆さんもアメリカの野球場をテレビで見る時になんてキレイな芝の刈り方なんだろうと思ったことありませんか?僕もその一人でした。自分で芝を刈る時がとうとう来たのです。
     自分ではなるべく平均的に四角形になるような芝の刈り方をしようと思いはじめました。その年は一年目なのでマニュアルというものが存在しない為、思考錯誤の刈り方でした。今、考えるととんでもない勘違いをしていたのですが…。 簡単な話、扇形になってる外野芝プラス外野ファウルグラウンドを平均的四角形のカットになる訳が無いのです。芝のプロがいましたが刈り方までは教わらず、多分、そんなアメリカの球場のような刈り方をほとんどテレビで見ただけでカットしてみようというとんでもないことをする日本のグラウンドキーパーは一人しかいませんでした。
     更に、小学校の時に図工の時間にまっすぐ線を描けなかった僕のトラクターの運転は、小学生の頃となんら変わらずまっすぐカットできなかったのです。一応先にカットしたところの隣のラインを走らせると、隣と同じように今の地点もカットできるはずなのですが、僕は遠くの目指すスポットを見ず隣のラインばかり気になり、運転が左右にぶれる為、結局、芝もぶれた状態になってしまうのです。

     オーシャンスタジアムの上空は飛行機が通る場所であり、飛行機の中から球場が見えるのですが、飛行機の中から見える球場の芝はよろけた線になっており、なんてひどい切り方なんだと思われた方もいたと思いますが、その犯人は僕です。

    (続)



     第3回 グラウンドキーパー 〜その3〜


     オーシャンスタジアムでは、高校野球大会の函館支部予選も開催されます。最初の一回戦などがある日は四試合を一日で消化するので、グラウンドキーパーはなんと朝の5時集合という日がありました。これはきつかったですね。なにせベストのコンディションで野球をしてほしいから、こちらもいい状態でできるようにしなければなりませんでしたから。
     こういう日の朝は、朝焼けを見ながら自転車を漕いで、誰も走り始めていない道路を走りながら白い息を吐き、途中でコンビニに寄って、朝飯用のおにぎりを買っていました。
     この予選一回戦があるころは、一日12時間労働でした。拘束時間は長いのですが、試合が始まると基本的にはやることは、5回途中のグラウンド整備以外ないので、楽でした。一塁側ダグアウトの横にグラウンドキーパーの控え室があるので、そこの中からお茶でも飲みながら野球を見ていました。一日の最後の試合が終了してから水を撒き、レーキをかけたりとやることは沢山あるのですが、楽しんでいました。
     体はクタクタですが気持ちが充実していました。 100%自分の体力を使いなにか生産的なことをした。 たったこの小さな出来事なことだと思いますが自分ではこれがすごく大きな出来事でした。

     最初の二ヶ月はスプリンクラーがなかったので、全部消防用のホースで内・外野も水撒きをしていましたが、これはとんでもない重労働です。ホースからの水圧がこんなにキツイものだと思いませんでした。
     これを引きずりながら水を撒いていく作業は、思いっきり体力を消耗する仕事です。これを一日の最後にやるのはちょっと気が重くなりますね。
     後にスプリンクラーが入ったのでこの問題も一気に解消されたのですが、外野の水撒きを消防用ホースでしていたのは僕らくらいでしょうね。

     そんな予選も終わり、芝のメンテナンスをしている日でした。球場は大きいので呼び出しも球場のマイクをつかっての呼び出しだったのですが、

    「らいさん、らいさん、お客様が見えてますのでロビーまでにお越しください。」

     はて?今日、会社の上司が来る予定だったっけな?と思いながらロビーに行くと、なんと知り合いの女の子が待っているじゃないですか。白い帽子を被ったその子は笑って手を振りました(なぜか僕はこのタイプにヨワイのです)。なにを思ったのかその時、その女の子の手をとってロビーの柱の影に隠れてしまいました。別にあやしいことをするわけではないのですがロビーの隣にある事務所の人達にはやしたてられるのが好きではなかったのでそうゆう結果になってしまったのです。なんでも京都に旅行に行ってきてそのお土産を持ってきてくれたところでした。あまり仕事に差し支えのないくらいの時間で話をして、又会う約束をしました。

     グラウンドキーパーという仕事上、男が多い職場でこういう出来事があるのは誰も聞いていないのに、「おれだってやるときはやるんだからな!」などと勝手に息まいていました。その当時、可愛い子を見るとすぐコーフンして鼻が膨らむと言われていた僕はその日、思いっきり鼻が膨らんでいたそうな・・・。

    (続)



     第4回 グラウンドキーパー 〜その4〜


     いよいよプロ野球がやってきました。
     一週間もの長い間、この日の為にグラウンドを空けておいて、最上のコンディションで選手に試合してもらう為に入念な手入れをしました。二試合のシリーズでオーシャンスタジアム改装後初の試合、更に週末のデーゲームで、チケットはほとんどソールドアウトでした。親を招待したかったのですが頑なに断るので、友達にチケットをあげ、僕の晴れ舞台の日に観に来てもらうことにしたのです。
     この日は朝早くからグラウンドキーパーが集まり、念入りなチェックを行いました。プロの選手達がどんどんロッカー入りをしてきます。テレビなどでしか見たことなかった選手達がここにいます。グラウンドキーパーの控え室とホームチームは隣同士な為、かなりの至近距離で選手達が見れます。
     僕はこの日がくるまであることを考えて、それを絶対実行しようとしていました。選手からなんとかしてサインを貰うことです。アメリカ国籍の選手のほうが簡単にサインをくれるというのは判っていたのでどんどんサインを貰いに行き、それから日本人の選手のところに行きましたが、意外と皆サインを頼むと気軽に書いてもらえたのが好印象でした。それまで日本人選手はサインをくれないのではないか?と勝手な想像をしていましたが、それは僕の杞憂で終わりました。そんな僕を見た同じグラウンドキーバーの方は、こんな質問を僕にしてきました。

    「どうして らいさんはどうしてそんなにプロ野球選手をみてウキウキしているの?」

     「野球選手になりたかったけど結局なれなかった。でもここにはその夢をかなえた人達がいる。その人達を僕は尊敬しているんです。その人達が今、この目の前にいるんですよ。だからこんなにも楽しいんです。」

     理解してもらえたかどうかは知りませんが、プロ野球選手は単純に憧れるものでした。なにを子供みたいなと笑われてしまうかもしれませんが、こっちは心底真剣にそう思っているのです。どんなに勉強ができなくても、ボールを遠くに飛ばせてボールを早く投げれる奴はヒーローでした。こんな事を言えるのは僕らが最後の世代なのでしょうか?そうであって欲しくない。いつもヒーローは僕らの心の中にいるものだと・・・。そして目の前にいるものだと・・・。

     グラウンドキーパーをやり始めたきっかけは、将来の役に立てば、というくらいの気持ちだったが、実際に経験をしてみるとこんなに楽しい仕事も無いものだと・・・。それは、僕らがいつもヒーローの側にいたいと思う気持ちと同じだったような気がします。

    (終)



     第5回 客席案内人スーパーバイザー 〜その1〜


     球場に遊びに行くのは楽しいですね。それが仕事にしろ、見に行くにしろ。

     僕が現在の大学に入った一つの理由が、スポーツマネジメント学科が存在するということでした。更にここの学科の良いところは、在学中にスポーツビジネスの経験を積むことが可能であるということです。
     クラスの中にPracticumというクラスがあります。インターンのような実習生みたいなものだと思ってください。このPracticumは絶対取らなければならないクラスで、4クラスを卒業までに終わらせないといけません。1クラスは45時間でその時間中どこか学校のアスレチックイベント、レクリエーションセンター、Intramural Sportsといわれる学校内スポーツ大会などの手伝いをしなければなりません。
     幸い僕の学校のアスレチック部はアメリカ西海岸の一つのリーグ「PAC 10」に所属しているので、アスレチック部のイベントなら良い経験になるだろうと思い、アスレチック部の中にあるEvent部のドアを叩きました。
     Event Managementはアスレチック部のイベント運営の手伝いをします。

     アスレチック部の中にはアメリカンフットボール(以後フットボールに省略)、野球、男子と女子バスケットボール、女子サッカー、女子バレーなど色々あるのですが、一番の目玉はフットボールです。大学のある街はたった二万五千人しか住んでいないのですが、学校所有のフットボールスタジアムは三万五千人収容可能です。街の中で一番目立つ建物です。街の人が皆集まってもまだ席があまるのに、どこから人がくるんだろう?という疑問もそこそこに、昨シーズンはいくつかの試合のチケットは売り切れるほどの繁盛ぶりでした。
     フットボールのシーズンは、秋から冬にかけて12試合前後をします(そのうちホームゲームは6試合)。この季節はアメリカでは新学期の季節でもあるので、沢山の生徒が訪れます。ちなみに学生は一万七千人いるそうです。このフットボールのシーズンが訪れると秋の到来を感じます。

     僕は、ホームで行われるフットボールの客席案内人スーパーバイザーという仕事をEvent Managementから任されました。
     この仕事はスタジアムにいる客席案内人をセクションごとに総括する仕事です。球場の半分は学生用席と相手チームの応援席があり、そこはセキュリティ会社が客席案内兼セキュリティをしますが、もう半分のシーズンチケットホルダーの席などの客席案内人総括は、スーパーバイザーの仕事となります。ここは三つのセクションと12の通路から成っており、36人の案内人がいます。つまり案内人は一つの通路につき二人いることになります。
     スーパーバイザーは三人いて、この三つのセクションに分かれ、一人のスーパーバイザーに付き4の通路と8人の案内人の総括をします。そして僕らスーパーバイザーの上にはEvent Managementのディレクターやアシスタントがいて、最終的な権限は全部彼らにあります。

     さて、この客席案内人とスーパーバイザーの仕事については次回に。

    (続)


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