就是愛棒球〜Gotta Love Baseball〜 by 高原成龍

    第1回 2003年マイナー・独立リーグ観戦記(その1)

    第2回 2003年マイナー・独立リーグ観戦記(その2)

    第3回 2003年マイナー・独立リーグ観戦記(その3)

    第4回 海外スポーツ道中膝栗毛 〜第1回〜

    第5回 海外スポーツ道中膝栗毛 〜第2回〜



     第1回 2003年マイナー・独立リーグ観戦記(その1)


     晩秋の候、皆様いかがお過ごしでしょうか?この原稿が発表されている頃、世の中は「さあ、クリスマスだー」状態でしょう。そして、世の男共はお姉ちゃんにうつつを抜かし、「ムフフ」で、「ウフフ」で、「イヒヒ」な事を考えながら来るべき日を迎える事でしょう(カタカナの部分は勝手に想像して下さいね)。
     しかしそんな事を考える前に、この原稿を読んで下さる皆様に、これから3回に分けて、9月上旬にアメリカで見て来た事の一部をご報告させて頂きますので、よろしかったらおつきあいください。
     今回のアメリカ野球観戦ツアー(といっても一人だけど・・・)の最大の目的は、マイナーと独立リーグの観戦でした。この観戦は、メジャーの華やかな部分に目を奪われがちな自分に「何が大切なのか」を教えてくれたような気がします。以下、私が向こうで見てきて、感じ、考えたことを書かせていただきたいと思います。

    1.ラスベガス編

     ラスベガスと言えばカジノですが、カジノは小銭儲け程度でしかやっていません(ホンマやで!信じてや!)。でも、野球はしっかり日に焼けながら見てきました。「日に焼ける」といっても、砂漠のクソ熱い太陽に晒されているため、半端ではなく、腕が糸巻きのチャーシューのように焼けただけでなく、2・3日痛くてヒリヒリしてました。

     ところで日焼けの話はともかく、ラスベガスのチームは51’sといって、現在ドジャース傘下の3Aのチームです。日本のファンには、「DAKY」さんこと木田優夫選手が在籍していたチーム、といえばお分かり頂けるでしょう。更に、台湾の野球が分かるファンなら、先日のアテネ五輪予選で来日した台湾チームの4番だった陳金鋒が在籍しているチームでもあります。
     ちなみに、9月1日のこの二人、「DAKY」さんは出番なしで、陳金鋒はホームランを打って大活躍でした。でも私は、「DAKY」さんが3月の交通事故を払拭して、復帰できた姿を見てほっとしました。試合後、元気が無く「あ〜あ、今年も終わっちゃったなあ〜(3Aは9月1日がシーズン最終日です)」という表情をしていましたが、その後ドジャースに昇格して来年の契約に繋がる活躍が見られたので、これまたほっとしました。

     9月1日の球場の様子は、やはり平日で日差しがきついデイゲームのせいか、スタンドは閑散としていました。特に屋根が無い一塁側と三塁側の席は空席が目立っていました。実際、椅子は「目玉焼きが焼けるんちゃう?」というくらい熱くなっていました。物好きにもその椅子に座って野球を見続けていた私は、砂漠性気候特有の日差しと乾燥した空気に随分と悩まされ、冗談ではなく、本当に汗が塩に変わり、「水くれ〜」状態になりました。

     しかし、そんな自分以上にきつい思いをしているのは、選手であり、グランドでファンサービスに努めるスタッフ達だったと思います。ところが、彼らのそういったものを感じさせないその姿には、但々感心するばかりでした。また、スタッフが炎天下のグランドで東奔西走する姿を見て、本当に野球やそのチームが好きでなければ出来ないな、とも思いました。
     日本のプロ野球でも、こうしたアメリカのファンサービスをモデルにいろいろやっていますが、私が見る限りどれも「猿マネ」の域を超えていません。上辺だけをマネするだけではダメだ、という気がしました。やっぱりファンサービスは、チーム側のスタッフが、本当にチームと野球が好きでやらなければ、全く無意味ですね。感情の無い機械的なファンサービスは、やっぱり見ている側も「何も面白くない」のではないでしょうか?

    おまけ

     試合前、グランド警備の方に促されていったら、台湾人ファンにサイン中の陳金鋒の所に連れてかれました。どうやら私を台湾人と間違えたらしいです。日本人に見えない私って、一体...

    観戦ガイド

     ラスベガス51’sのホーム球場、キャッシュマン・フィールドは、ダウンタウンから徒歩で10分くらい、車で4〜5分くらいの所にあります。私は行きも帰りも幸運な事に車でしたので、移動は楽でした。徒歩の場合、ひとけの無い閑散とした地域を歩く事になるので、夜の試合の帰りは止めておきましょう。昼でも要注意です。タクシーを捕まえるなら、球場から徒歩1分圏内のところにあるガソリンスタンド兼コンビニエンスストアで捕まえるといいでしょう。
     当日券も十分可能ですが、チケット購入の際は、座席の位置に注意しましょう。特にデイゲームの場合は、日差しが強いのでバックネット裏の屋根がある位置を用意してもらうといいでしょう。選手達をベンチ前で間近に見たい!という人は、私の腕のような糸巻きのチャーシューにならぬよう、日焼け止めクリームを忘れずに塗りましょう。
     日射病・熱射病に注意!のラスベガスです。

     次回、ブルックリン編へと続きます。



     第2回 2003年マイナー・独立リーグ観戦記(その2)


     「き〜っと君は〜こな〜い〜」って、もう来とるわ!と思わず一人ボケ、突っ込みをしたくなる師走(どんな師走ぢゃ、コラ!)。先月同様、気長にお付き合い下さい。

    2.ブルックリン編

     ブルックリンは、以前のドジャースの本拠地ですが、いまはメッツ傘下の1Aショートシーズンのサイクロンズの本拠地です。日本人の選手はいませんが、サイクロンズは、ドジャース時代からの熱狂的ファンに支えられ、ホーム球場のキースパン・パークも大変活気がありました。
     1Aショートシーズンは、9月3日にシーズン終了(開始は6月17日)なのですが、私が観戦した9月10日は、リーグチャンピオンシップの第2戦で、ちょっぴり得をしました。この試合を知ったのは、前日メッツの試合を観戦中の場内アナウンスでした。私の英語力も、ち−とは進歩したようです(ガハハ!どうだ!←自慢すな!)。

     9月10日は、夜のサイクロンズの試合だけでなく、メッツの試合も昼にあったため、変則的なダブルヘッダーでの観戦となりました。昼の試合は、メッツが低迷しているだけに、客席は豪快にガラガラでしたが、夜の試合は逆に活気がみなぎっていて、昼よりも客が入っているように見えました。スタンドの大小の違いもあるので、私の錯覚かもしれませんが、そう映りました。

     試合前、選手達が積極的にファンにサインをしてあげたり記念撮影に応じていました。まず、ファンからは「オラが町のヒーロー、けっぱれ!(どこの地方の人間やねん!)」という眼差しが感じられ、選手からは純粋に「応援してくれてありがとう!」という雰囲気が出ていて、実に素敵な光景でした。私は、アメリカの球場に「ファン・コミュニケーション」をテーマに撮影に行くのですが、その原点を見つけたような気分です。ファンと選手のあるべき姿を見たような気がします。
     日本では、星野前阪神監督があまりにひどいファンの態度に怒りをあらわにすることが多かったのですが、本当はこの光景のような形でファンとのコミュニケーションを取りたかたったのではないかと思います。でも、前後の見境や節度が無く、過剰になるファンの姿を見聞きすると、日本では永久に起こりえない光景なのかな...と思わずにいられなくなり、寂しい気持ちになります。

     始球式では、以前サイクロンズでプレーした「卒業生」のメッツのデニー・ガルシアが始球式に駆け付けていました。かつての学びの舎に、凱旋して帰って来たガルシアの姿は、サイクロンズの選手達よりもやはり大きくたくましく見えました。特に私の場合、昼の試合でメジャー初ホームランを打ったところを見て来た後だけに、ガルシアが初心と原点を忘れず、当たり前のように(強調します)大切にしている姿にモーレツに感動しました。カネや名誉ばかりに執着しているお下品な日本の野球関係者には、ガルシアの爪の垢を煎じて飲ませてあげたいと思わずにいられませんでした。

     試合前から、こういう雰囲気なので、試合も盛り上がらない筈がなく、延長までいく白熱したものになりました。その試合の雰囲気も、昨年台北までいって観戦してきた福岡ダイエーホークスの試合と殆ど同じものでした。選手が単にグランドで試合をして、無秩序にワーワーやって声援を送るのではなく(台北の試合に於ける日本人のホークス応援団とは違う、ということです)、選手に長嶋さんが見せるような熱い視線を送って噴火のような盛り上がりを作り、選手の気分を高揚させていい試合を創っていくことが大切なのではないでしょうか?

    おまけ

     試合が延長になったため、ホテルに戻ったのが深夜の0:30過ぎでした。さらには、帰りの空席だらけの地下鉄で深夜の墓地を横断する、という「こわ〜い」体験をしました。幸運にも、幽霊やお化けの類には遭遇しておりません。これが本当の肝試し!

    観戦ガイド

     ブルックリン・サイクロンズのホーム球場のキースパン・パークは、マンハッタンから地下鉄Q、W、もしくはF(Av.X駅からシャトルバスを使うことになりますが)で、約1時間のところにある終点のConey Island駅にあります。駅から徒歩5分程度のところにあり、観覧車に向かって歩いていけば、球場はすぐそこです。
     夜の試合の帰りは、「おまけ」にもあるように「こわ〜い」体験をするような帰路につく事になるかもしれませんので、特に女性の方は注意しましょう。

     チケットは、メッツのクラブハウスや、シェイ・スタジアムの窓口でも購入可能ですが、2002年のニューヨーク・ペンリーグ(サイクロンズの所属リーグ)でダントツの観客動員を誇ったチームで、いつも満員御礼状態らしいので、入手困難のようです。
     注意したいのは、シーズンが6月中旬から9月上旬までしかない、という事です。私は,幸運にもプレーオフが組まれていたので観戦する事が出来ましたが、時期を外すと見られなくなりますので、日程は確認したうえで行ってください。

     次回、ニューアーク編へと続きます。皆さん、よいお年を!



     第3回 2003年マイナー・独立リーグ観戦記(その3)


     新年に入り、急遽K−1のレポートを書きましたが、皆様如何だったでしょうか?
     この度の年末年始で分かった事は、「ボブはサブより出て曙より強し」ということであり、そのボブも憲ちゃんの前には「イチコロだった」ということでした。
     未だに、ボブ・サップのシャイニング・ウィザードが忘れられない今日このごろです。

    3.ニューアーク編

     マンハッタンから電車で約30分。独立リーグのニューアーク・ベアーズの試合を見るために、行ってきました。観戦日の9月12日は、18:05からダブルヘッダーが組まれていたので、2試合見るつもりで行って来たのですが、これが裏目に出て顔面蒼白の事態に陥りそうになりました。
     「顔面蒼白の事態」については、後の「おまけ」コーナーでやりますが、まずは独立リーグの球場の雰囲気について説明させて頂きます。
     球場のリバーフロント・スタジアムはオープンして数年ということもあって、非常にきれいな球場でした。設備も、前記のマイナー2球場に負けないくらい充実していてびっくりしました。日本の感覚だと、「独立リーグの様な野球で興行が成り立つのか?」と感じてしまいますが、ちゃんと成り立っていたのを見て、アメリカ野球文化の奥の深さに感心するばかりでした。

     観客の入りはいまひとつでしたが、観戦に来ているファンは「近所の草野球チーム」に声援を送るような感じでした。そんな雰囲気があるせいか、選手をはじめ現場の方々には緊張感があまり感じられず、中には試合中に観客と「雑談」している現場の方々も見かけました。当然緊張感のあるゲームが望める訳も無く、結構中だるみして見ていました。
     また試合中には、地元の高校のブラスバンド部が楽器を鳴らして入場してきて、高校野球のような雰囲気にもなりました。彼等がやって来た時は、「なんじゃごりゃ〜(byジーパン刑事)」と叫んでしまいました。

     球団スタッフのファンサービスも、これまた前記のマイナーの2球場と比べると、どこか拙くて劣っているように見えました。でも、メジャーリーグやマイナーリーグと比べて、手作りのぬくもりが感じられるほのぼのとしたものでした。ファン(特に子供)がグランドに降りてするアトラクションが多かったのが、ほのぼのとした家庭的な雰囲気を作り上げていったように思います。ここのファンサービスは、スタッフだけでなく会場に来る地元のファンも野球が好きで、一体になってやっているようでした。このシリーズ第1回のラスベガス編と重複しますが、やはり上辺だけの「猿マネ」ではファンの心を掴めないと本当に感じました。

    おまけ

     前記「顔面蒼白の事態」についてです。試合開始は18:05からのダブルヘッダーでしたので、どうしても心配になってくるのは、「試合終了後ちゃんとマンハッタンに戻れるか?」ということでした。幸い、子供が球場に来やすくするために7イニング制で試合が行われたのでまだ良かったのですが、それでも試合が終わったのは22:30頃でした。
     それから、球場最寄りの駅からマンハッタンに向けて帰ろうとしたのですが、電車の車掌さんから「マンハッタンには行かないよ」と言われ、かつての電波少年の企画のような「野宿」を覚悟しました。その上で乗車したところ、その車掌さんから「終点のホ−ボーケンまで行って、そこからPATH TRAINに乗り換えなさい」と言われたのですが、駅の改札もまともに通れないくらい動揺し、華僑の男性に助けてもらいました。
     結局、ホテルに戻ったとき、時刻は1:00をまわっていました。焦りと動揺から睡魔も襲う事無く、夕食も完全にド忘れするほどでした。

     皆さん、見知らぬ土地へ行く時は、ぜ〜ったい下調べは必要ですよ!植木等的楽観主義(というよりは歌の作詞をした青島幸男かな?)は、海外では危険ですぞ!

    観戦ガイド

     ベアーズのホーム球場、リバーフロントスタジアムは、ニューヨーク・ペンステーションから、NJ Transitに乗ってBroad st駅下車、駅からは徒歩2分のところにあります。
     注意したいのは、「おまけ」でも書きましたが、夜の試合の時の終電。マンハッタンへ直接且つ早く帰りたい方は、ニューヨーク・ペンステーションに直行する電車の時刻、一先ずホ−ボーケンまで行ってそこからPATH TRAINに乗り継いで帰ってもいい、と時間をかけられる方は、ホ−ボーケン行きとPATH TRAINの終電時刻を、必ず時刻表や駅のスタッフ、車掌さん等に確認して下さい。終電の確認がイヤな人は、デイゲームの観戦にしましょう。

     当日券は余裕で取れますので、安心して球場に足を運んで下さい。今まで見て来た野球とは、明らかに雰囲気が違うプロ野球を楽しみたい方には、お勧めです。

     今回は、観戦記の最終回になります。そこで、私自身が感じたことを「モノローグ」という形で、率直に綴らせて頂きます。野球に携わる方々に読んで頂けると、嬉しいです。

    4.モノローグ

     以前、とある雑誌のコラムでこういう記事を見ました。それは、野茂英雄がアメリカへ行ったばかりの頃、あるスポーツ新聞の編集部に、高校野球の関係者と名乗る方から「ウチの教え子をアメリカに行かせたいのだけれど、どこのチームがいいか?」と問い合わせの電話があった、というものでした。
     コラムの筆者は、「現場の関係者がこの程度の認識なのか」と呆れていましたが、それは今、日本人選手が大活躍するようになって、この当時よりも問い合わせの電話は更に増えているのではないでしょうか?

     ゼロの状態でメジャーリーグに挑戦し、成功している日本人選手は例外なく日本のプロでも突出した実力の持ち主です。長谷川滋利は、自らを「自分は超一流のピッチャーではない(幻冬舎 刊 長谷川滋利 著”適者生存”P.231より)」と評していますが、それでも、著書「適者生存」の文中にあるように、常に自分自身の向上に努めていき、今の地位を勝ち取りました。
     そうでない選手は、マイナーもしくは独立リーグからコツコツ積み上げてメジャーを目指していく事になります。この場合は、ゼロというよりはマイナス500くらいからのスタートになるといえるでしょう。そうしてメジャーに上がった日本人選手は、現オリックスのマック鈴木と大家友和だけのよう思います。

     今回私は、2週間で17試合、野球の試合を見てきました。
     まず、メジャーとマイナーはプレイヤーとプレーのレベルが違うのは当り前ですが、プレーする環境も全然違います。私が見てきたラスベガスとブルックリンは、スタンドもきれいで、グランドもきちんと整備されたいい球場でしたが、聞いた話では球場によっては、予算がなくボロボロの所もあるといいます。
     独立リーグに至っては、マイナーとも比較にならないくらいの環境です。リバーフロントスタジアムは確かにスタンドはきれいでしたが,グランドはきちんと整備されているとはいい難く、芝生も結構ボロボロになってました。
     予算が限られているせいか、野球用具は他の選手との使い回しのようです。ひさしの割れた部分をテーピングで補強しただけのヘルメットを被って打席に入るところや、バットが関係者用通路からベンチへ届けられるところ、ファウルで泥がこびり付いたボールをボールボーイが唾を付けて汚れを落とし、そのボールを試合で再利用しているところを見ました。
     加えて、プレーのレベルが「高い」という訳でもなく、前記のような緊張感がない光景も見ました。私が観戦したベアーズは2003シーズン、リッキー・ヘンダ−ソン、ホセ・メサとメジャー経験者が一時在籍していましたが、メジャーでの実績が有り、独立リーグの中でも実力も飛び抜けていた彼等が、早い段階でメジャーの契約を勝ち取ったのは「当然」かもしれません。また、あのような環境の中で腐らず、強い意志を持って独立リーグでプレーしていた彼等には頭が下がる思いです。

     最近、野茂英雄達が独立リーグのチームのオーナーになって、若い日本人選手のためにメジャーを目指せる環境を作ろうとしていますが、そこで本当の意味でチャンスを掴める日本人選手はどれだけいるのでしょうか?日本の恵まれ過ぎた野球環境の中で育った選手の中で、こうした環境に流されず、強い意志を持ってメジャーを目指せる選手はいるのでしょうか?マイナー契約を結んでもらえる選手は、独立リーグでやっている選手よりまだマシかもしれませんが、日本とは完全に環境が変わるし、長谷川滋利の様な英語力も必要になってくるはずです。そこまでしてでも野球が好きで、野球をやりたい選手はいるのでしょうか?

     冒頭の話に戻ります。マスコミに「ウチの教え子を...」と問い合わせてくる日本のアマ野球の関係者の皆さん、上記の事をもっと真剣に考えたうえで、選手達の進路の事を考えてあげてほしいと思います。松井秀喜やイチロー達は、飛び抜けた実力を持った「特別」な存在であって、決して自分達と同じ次元から抜きでてきた「一般的」よりちょっと上の選手ではない事を、もっと分かって頂きたいなと観戦しながら思いました。



     第4回 海外スポーツ道中膝栗毛 〜第1回〜


     現ドジャースの野茂英雄以来、海外に進出する日本人選手が徐々に増えゆく今日この頃。国内の事情もあってか、今後増えることはあっても、減ることはなさそうです。
     今年も、プロ野球界では前西武の松井稼頭央、前ヤクルトの高津臣吾、前中日の大塚晶則らが、アメリカへ旅立つ事になりました。そんな中、彼等を含めた日本人メジャーリーガーお目当てで集結してくる日本人御一行様の、「珍道中」を密かに楽しみにしている私であります。とはいえ、これから先海外に羽ばたく日本人選手を追っかけて行く日本人観光客も、増えることはあっても、減ることは無さそうです。彼等は、「郷に入ったら郷に従え」で大人しくしてくれれば「カワイ〜イ」のですが、トラブルの数々を起こし、現地の人々に軽く見られてもおかしくないような事をしておられるようです。

     その代表的なものは、モアイ像に落書きして現地警察に逮捕され、日本に強制送還されて、なお「器物損壊」という犯罪行為(本当に処罰されるから、絶対マネしないように!)を自覚せず居直っているバ…ではなく若者でしょう。私が海外で見かけた日本人(特に団体で来ている方々)は、どういう訳かそのような感じの「困ったちゃん」ばかり多く見かけるのです。
     そんな、叶姉妹もビックリするくらいゴージャスな「困ったちゃん」達のお姿、実は昨年のニューヨークだけでなく、過去シドニー、シアトル、昨年のニューヨークでも見かけました。
     もしかしたら、これから先トップアスリートが世界に羽ばたく場所で、さらは今年8月アテネで見かけるかもしれない、そんな「困ったちゃん」達の「困ったちゃん」達による「困ったちゃん」の為の劇場、スタートです。

    【この「困ったちゃん」劇場、あまりにもこっぱずかしいので、よい子のみんなは、絶対真似しちゃダメだぞ!】

    1.2000年9月 シドニー五輪編

     私のシドニー五輪は、日本代表のサッカーの予選3試合と、野球の予選1試合のナマ観戦でした。今でも不思議なのは、日本人が面白いくらい集まっていた事です。海外でありながら、東京にいるのと同じくらい違和感がないので、あごが外れそうなくらい驚きました。地元キャンベラのTVでも報道されてましたが、その光景は「民族大移動」といっても言い過ぎではないくらいでした。実際、サッカー予選のオーストラリア代表以外の目玉カードといわれた、ブリスベンで開催された日本VSブラジルでは大手旅行会社が企画した1泊3日の日帰りツアーに応募が殺到した、と試合会場前で声をかけたツアー添乗員の方から聞きました。この時の私は、日本の情報から思いっきり隔離されていたため、ほんのちょっぴり浦島太郎状態になっていた故に、知らなかったことでした。
     その当時の、浦島太郎状態の私の様子を、どうか気長に見てやって下さい。

    1ー1.キャンベラより愛を込めて

     サッカー予選リーグの会場だったキャンベラ。試合の無い日は、市街地を観光していたのですが、街の様子は「ドキッ、日本人だらけの五輪大会」といった感じでした。

     ある晴れた初春(注意:キャンベラは、季節が日本と逆です)の、早朝着た上着を思わず脱ぎたくなるような昼下がり。街の中心部にあるバス停で、うら若き乙女チックな大和撫子4名様が、車座になって地ベタに根っこを生やして座り込み、「世界に一つだけの花」を咲かせていました。それを見かけた地元の人たちの反応は、目障りでうっとうしい野犬を見るような眼差しを彼女達に送るか、「完全無視」という感じでした。
     お姉さん方、木村クン達の顔が引きつってますよ!

     9月17日のスロバキア戦の試合中では、興奮した観客をなだめようとした警官に向かって、中指を立てている「若き侍」もいらっしゃいました。そのノリは、成人式で乱痴気騒ぎを起こして警察のお世話になっている「安・本・丹」と一緒。現場の警官たちは、余計な混乱を避けるため何もしませんでしたが、その姿を見て更にガッツポーズを見せて喜んでいた姿に、違う意味で「大和魂」を見ました。きっと「武士道」の著者・新渡戸稲造先生は、あの世で、彼等の姿を涙を浮かべながら見ておられたことでしょう。警官たちが、鞘に収めた刃を自分達に向けた時、どうなるかお分かりでないようで微笑ましい限りでした。そういうお方に、お似合いなのは、お子様ランチかはたまた留置場の「クサいメシ」でょうか?
     皆さん、社会見学に如何ですか?お勧めですよ!

     あと、雑誌で見ておったまげたものでは、9月14日の南アフリカ戦で「場内禁煙」であるにもかかわらず、タバコをプカプカふかしていた日本人の姿が全世界のTVに流れた、という記事。このため、2戦目のスロバキア戦では日本語の場内アナウンスで「禁煙」を呼びかけていましたが、「そういう事やったんやねえ〜」と後になって知りました。
     このことから言えることは、少なくとも某タバコ会社の「喫煙マナー向上作戦」は、「完全に失敗に終わっている」という事です。

     皆さん、健康のためタバコの吸い過ぎに注意しましょう!

    1ー2.ブリスベンのリゾート

     重複しますが、ここで開催されたブラジル戦はすごい人気で、日本からチャーター機を使った「弾丸ツアー」が組まれる程でした。ブリスベンは、通常ゴールドコーストへの窓口のような役割を果たしていますが、この時は明かに違い、繁華街はさながら昼間の「原宿」を歩いているかのように日本人がやって来ました。恐らく、ブリスベンでもこういうのは初めてだったと思います。

     9月20日のブラジル戦のTVを見られた方は気付かれたと思いますが、横断幕の類が殆ど(というより全く)ありませんでした。どうも、横断幕が「五輪の会場として景観を損ねる」と主催者側に判断されたらしく、警官に指示を出して撤去させていたようです。

     私が2001年から訪問し始めたメジャーリーグの球場でも、選手に声援を送るためのメッセージボードを見かけました。これは、ラガーディア空港が近所にあり、飛行機の爆音がうるさいシェイスタジアムのメッツファンが最初に始めて、全米(今は日本もかな?)に広がった、と聞いています。多分、思春期の子供が好きな異性に思いをなかなかうまく伝えられないような感じの「奥ゆかしさ」というか、「いとをかし」の感覚を大切にしたかったからこそ、全米中に広がっていったような気がします。メジャーリーグの球場で、ボードを出すファンは「私のこの声、あなたに届きますように」という、七夕の短冊に願いを込めるような感覚で出しているように見えます。
     これに対し、会場で見かけた圧倒的多数の日本人の場合は、いくら頑張ってもTVカメラを意識した「自己顕示」に見えてしまいます。実際、キャンベラの会場で、スタンドの通路で横断幕を誇らしげに掲げて記念撮影していたグループが、人通りが多くてすんなり撮影出来ずに「ムカつくんだよ!あの日本人!(これ、お姉ちゃんの言葉ですよ。驚きですねぇ、恐いですねぇ)」とキレていたところを見かけました。選手達に声援を送るために横断幕を用意したのであれば、「そこまでムキになって、腹を立ててんでもええのに…」と思うのは、私だけでしょうか?
     お姉さん、ムキになってるあなたの姿、ハリセンでどついてやりたいぐらい素敵でしたよ!

     あと、記念撮影で思い出しましたが、試合終了後、一般のファンとプロのカメラマンが「記念撮影」絡みの口げんかしているところも、見かけました。
     プロのお仕事を邪魔しても、写真をねだるその根性!あなたの方こそプロです!私も、その「プロ根性」見習わせて頂きます!

     恐らく、この時の主催者側は、

     「あいつら、ウチのスポンサーさんの広告、目立たんようにしてもうて、ボケ、コラ!高い広告費出してもろうてんのに、これやスポンサーさんに顔立てへんがな。こんなんやったら、とことんやったる!」(このセリフ、長渕剛の「とんぼ」をBGMにして、みんなが大好きなキヨ兄さんの気分で読み上げると、より迫力が出ます。特に「ボケ、コラ!」の部分は、腹が立った時のことを思いだし、気合いを入れて読むと、よりキヨ兄さんに近付けるだけでなく、ストレス解消にもなります)
    という感じだったと思います。
     とはいえ、帰国後「五輪ダイジェスト」を見た時、日本の試合の時だけ色とりどりの横断幕で「まあ、カラフルで華やかねえ!」を通り越して、眼がチカチカしてプレーに集中して見られませんでした。この点だけでいえば、主催者側の判断は絶対に間違っていなかった、と今でも思っています。

     肝心の試合は、ブリスベン・クリケットグラウンドがオープンして以来最高の観客(当時)の入りで、スタンドの9割が日本人といえる状態でした。当日、日本はブラジルに屈したものの、同じ組の南アフリカも負けたので、予選突破が試合終了間際に決まりました。これをラジオで聞いた一部のファンは、勝利を目指して試合中の選手に声援を送らずに騒いでいました。その中には,TVで「いい意味」で取り上げられていたこともある、応援団とおぼしきメンバーも見かけました。テメエ勝手で、試合を無視して乱痴気騒ぎをやっている姿は、日本プロ野球の球場の外野席等で、試合の進行に関係なく騒いでいる応援団の姿と、重なって見えました。自由席でありながら、テメエ勝手に座席を陣取り、場合によっては一般のファンと衝突したり、不祥事を起こして警察にパクられる。なによりも腹立たしいのは、「金払って見に来てやってんだ。負けたら承知せんぞ」という傲慢きわまりない態度と、私達一般のファンを見下したその態度。実にけしからん(もれ聞いた話では、ダイエーの応援団のメンバーが、福岡ドームで一般ファンとケンカしたこともあったとか)!
     野球を見に球場へ来たはずの私が、何故「PRIDE」を見る羽目になるのか?刺客として、ミルコ先生でも用意しましょうか?

     ちなみにサッカーの予選期間中、選手達は試合終了後、スタンドのファンに対して一切挨拶しないでグラウンドを後にしましたが、それも分かるような気がします。選手達は、きっとスタンドから変なオーラを感じ取っていたのではないでしょうか?
     トッププレイヤーのレベル同様、ファンのレベルも一緒に上がってくれば良かったのですが、2002年のワールドカップでの様々な騒動などと照らし合わせてみても、何も変わっとらんようです。

     日本の「応援団」と呼ばれる方々の殆どは「私設」で、球団や選手となんら関係の無い人々ばかり!彼等は、やたら野球やサッカーが詳しいように見えますが、その中で試合をしっかり見ている人は、ごくわずかだ!ま〜ちがいない!
     グラウンドに背を向けて、試合を見られる訳がない!気をつけろ〜!



     第5回 海外スポーツ道中膝栗毛 〜第2回〜


    1−3.Road to Sydney

     9月22日早朝に飛行機でシドニーへ移動した私は、夜の野球観戦(VS南アフリカ戦)の帰りに電車の駅で、会場でスタッフとして東奔西走された日本人ボランティアの女性に声をかけました。私が今まで見てきた日本人の話をしたら(つまり前回紹介したような内容)、彼女はその後うんざりし、疲れきった、まるで老婆のような表情を浮かべて呆れていました。その方は、「世界」を感じるいい機会と思って応募されたのだと思いますが、きっと私と同じような光景をたくさん見てきて、やり場の無い怒りや、情けない思いを抱いた事でしょう。彼女自身、金は欲しくないでしょうが、私自身この彼女への同情を禁じ得ません。
     彼女が一スタッフとして会場で見かけた光景の一つは、きっとこんな感じのものだったのではないでしょうか?

     私が、ブリスベンのホテルで見たTVのニュースで、ダフ屋行為取締りの話題をやっていました。ニュースのVTR中、お客として引っ掛かっていたのは、悲しいかな殆ど日本人。たとえ、顔はぼかしてあっても、被写体の人間がTVカメラのレンズを手で隠しても、ニュースのコメントがオージーなまりの英語で聞き取れなくても、なぜか分かるのです。

     「ダフ屋」といって思い出したのでは、9月23日午後に開催された野球の予選・日本vs韓国のとき、日本人の若者が、ダフ屋行為でチケットを売っているところを見ました(注:前売りは完売)。聞いた話ですが、その日本人ダフ屋、キャンセルした団体ツアーのチケットを旅行代理店のスタッフから安く仕入れ、それを他のダフ屋より安くさばいていたようです(参考:チケットの定価《最高値の座席です》…AS$19。現地のダフ屋の相場…AS$100。日本人ダフ屋の相場《伝聞》…AS$50)。その日本人ダフ屋の正体は、ラブ・ユー・ボンビーのワーキングホリデーの若者だとか。いくら自分の生活のためとはいえ、「ちょっと阿漕でセコいことやっとるなあ」という感じです。同じ日本人やから、「もうちょい同胞意識を出して『みんなで楽しく』という気持ち、あってもええんちゃう?」と思いましたが、やっぱり生活かかるとこうなるのでしょうか?

     私の場合、その日本人ダフ屋以上に情けなく思うのは、現地人のダフ屋にハエのごとく群がり、交渉らしい交渉もしないでチケットを買おうとする日本人観光客です。五輪観戦のために、休暇を取ってお金をかけてオーストラリアにやってきたのは、想像が付きます。せっかくやって来た以上、そりゃあ、いい思い出作って日本に帰りたいでしょう。私もそうでしたから。
     しかし、ダフ屋の言うがまま、なすがまま「チケットを買う」というのは、現地人に、日本人が如何に交渉ベタで、やり込めやすい「絶好のカモ」と見られても反論も出来ません。ただでさえ、外交の場で、政治家や官僚が「絶好のカモ」と化して、国益を損ねているご時世で、「なに安っぽいことしてんねん」という感じです。その程度の安っぽい大人達に、子供達も偉そうに説教されたか無いでしょう。

     自分の海外生活の経験上、その後始末ととばっちりは、巡り巡って全部現地で根っこ張って頑張っておられる日本人達にやってきます。こういう方々の事を、もっと考えて欲しいと思わずにいられませんが、もうアカンやろなあ...

    1−4.シドニー五輪編 総括

     現地で親しくなった方から、キャンベラでは「日本人のおかげで、街が久しぶりに賑やかになった」といわれた、と聞きました。確かに、キャンベラはオーストラリアの首都でありながら、シドニーやゴールドコースト辺りと違い、静かで時間の流れがどこか緩やかな感じがします。実際、サッカーの日本代表の試合が終わった翌日、日本人がブリスベンに移動もしくは帰国したせいか、一気に閑散として静かになっていました。多分、これがキャンベラの日常だと思います。

     当時のキャンベラに限らず、今のシアトルもニューヨークも、相当観光収入があったはずです。その反面で、「バブル経済期に金にモノいわせて、あれこれ買い漁り現地人たちの怒りを買った日本人と、今まで私が取り上げた日本人は、どう違うのだろうか?」と感じずにいられません。「現地人たちの怒りを買った」と書きましたが、この「怒り」は、買い物の仕方やお金の使い方に気品と風格が感じられず、乱暴に札束でビンタされたような「屈辱感」が含まれているはずです。
     その「屈辱感」を最大限に利用し、巧妙に利益を上げたのが、イチロー人気に沸くシアトルであり、「55・MATSUI」グッズでショップの多くの棚を埋めたニューヨークだと思います。
     シアトルとニューヨークで見てきた事の詳細は、次回以降にまわして今回は割愛させて頂きますが、そこでグッズを買い漁る日本人の姿(実は、私もそうでした...)は、きっと彼等には、「お釈迦様の手のひらの上にいる孫悟空」のように映っていたのではないでしょうか?

     こうして考えると、当時のキャンベラの人たちや、オーストラリアの人たちが素直に「街が賑やかになった」と思っているのか、今でもちょっと気になります。


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