スポーツ風土記 by 一豊

    第6回 「アテネオリンピック 総評」

    第7回 「四国独立リーグ誕生について」

    第8回 「よさこいリーグ観戦記 10・24 近鉄ラストゲーム」

    第9回 「四国独立リーグへの道」

    第10回 「今年のスポーツを占う 〜大相撲編〜」



     第6回 「アテネオリンピック 総評」


     先日おこなわれたアテネオリンピックは、日本勢にとって、オリンピック史上これまでで最も素晴らしい成績を残した大会といえるでしょう。というのも、今大会で獲得した金メダルの数は16個で、1964年の東京大会に並んで最多であり、なおかつ総獲得メダル数も37個と、1984年のロサンゼルス大会の32個を大きく上回ったからです。したがって今大会は、前回のシドニー大会と比べ、メダル獲得数が倍増する結果に終わりました。
     この大躍進については、各種目それぞれが選手個人の実力をレベルアップさせた事が大きいと私は思っています。そしてそれが形として一番現れたのは、体操と柔道、そして競泳種目だったのではないでしょうか。

     まず体操についてですが、かつて日本は体操王国として君臨し、1960年のローマ大会から1976年のモントリオール大会までは男子団体で5大会連続の金メダルを獲得した強豪国でしたが、それ以降は低迷を続け、8年前のアトランタ大会と前回のシドニーでは、ついにメダル獲得者がゼロという状態にまで落ち込みました。
     しかし今回は、その低迷期を支えた塚原直也選手と、根気強く日本体操協会がジュニア選手を育成した結果台頭してきた米田功選手や冨田洋之選手などの若手が、お互い切磋琢磨しながらこのオリンピックという大舞台で力を発揮できた結果、男子団体での金メダル奪還につながったのだと思います。この彼らの素晴らしい演技は、4年後の北京五輪につながる大きな一歩だったと私は思いました。

     柔道は前回、金メダルを獲得したのは男子の野村忠宏、滝本誠、井上康生の3選手と女子の谷(旧姓・田村)亮子選手のわずか4人でしたが、今大会では男女14階級のうち8階級。銀メダルを獲得したのも2階級と、柔道発祥国としての威厳を復活させました。
     その理由としては、今回からゴールデンスコアという延長戦方式(先に効果以上のポイントを取った方が勝ち)が適用されたことや、審判員の積極的な指導の導入により、国際大会での戦い方が変わって、選手それぞれがポイント勝ちでなく1本狙いの積極的な攻めをするようになったことがあるのではないでしょうか。この背景には、前回のシドニー大会にて男子100キロ超級の決勝で篠原信一選手が微妙な判定で金メダルを逃したことがありますが、8/21付の朝日新聞のwebによりますと、誤審を防止する為に、国際柔道連盟が優秀な審判を派遣し、審判の判定を査定する「審判の審判」を置いて、その日の試合(昼の競技)で、いい判断をしているとされる審判のみに夜からの準決勝以上の試合を担当するという制度が取られて、審判レベルの向上を図ったことで、より正確な判定を行うことができるようになったこともあり、選手自身、誤魔化しは利かないという覚悟ができたこともあるのではないかと私は考えております。
     また、柔道競技の初日、男女のエースである谷選手と野村選手がそれぞれ金メダルを獲得し、代表選手に良い弾みをつけてくれた事も大躍進の理由といえるでしょう。

     そして競泳では、女子800M自由形で柴田亜衣選手が金メダルを獲得したことに、私は大変驚きを感じました。女子の長距離競泳陣はこれまで山田沙知子選手が長く第一線として活躍しており、今大会でも入賞が期待されていました。しかし大会本番では山田選手が直前の調整に失敗して思うような結果が出せなかったのに対して、柴田選手は400M自由形で5位に入賞すると、800Mの予選では3位で決勝進出するといった絶好調の状態で最後のレースに挑み、驚異的な粘りで金メダルを獲得しました。思えば直前のヨーロッパGPシリーズでも彼女は好成績をマークしており、6月のローマ大会では山田選手に先着し優勝した実績を持っていたので、いま考えてみると、取るべくして取ったメダルだったと思います。

     それからその他の種目で振り返ってみますと、アーチェリーの山本博選手が20年ぶりにオリンピックで銀メダルを獲得したのも素晴らしかったですし、女子マラソンでは野口みずき選手が金メダルを獲得し、女子マラソン最強国としての実力を世界に知らしめてくれたことも爽快でした。そして、女子レスリングでは4種目全てでメダルを獲得し、そのうち2種目で金メダルを獲得するという素晴らしい快挙も成し遂げてくれたこともよかったです。

     4年後にはアジアで20年ぶりの夏季オリンピックが北京で行なわれますが、4年後に向けて各種目とも更なるレベルアップとジュニア選手の育成をおこない、今大会以上の成績を残すことが出来るように頑張ってもらいたいと思います。
     最後になりましたが、代表選手の皆さん、我々スポーツファンにスポーツの素晴らしさと爽やかな感動を与えていただき本当にありがとうございました。そして本当にお疲れ様でした。



     第7回 「四国独立リーグ誕生について」


     先月30日、高松市のホテルにおいて元・オリックス監督でIBLJ(株式会社日本独立野球リーグ)の代表である石毛宏典氏が、来シーズンより四国4県で行なわれるプロ野球独立リーグの発表記者会見を行いました。

     四国に住む私にとって、アマチュア野球や野球キャンプが盛んな四国にプロ野球チームが誕生するのはとても歓迎すべきことだと思うのですが、その誕生するプロ野球チームが日本プロ野球組織(NPB)に属さない独立球団で、しかもこれが四国に4つもできることには、正直言って驚いており、戸惑いを感じています。

     今回の会見では、四国4県の県庁所在地にそれぞれ17歳から24歳までの選手を集め、1チームずつ球団を作り、4チームでの総当りリーグ戦を行い、ナイターを中心に1チーム当たり年間90試合を消化するシーズンを来年5月から始めるという発表がありました。そして野球教室や社会人チームとの交流戦を行なうなど、地域に密着するチーム作ったり、若手を育成して、将来、日本やメジャーリーグのドラフトに指名される選手を一人でも多く育てるマイナーリーグのルーキーリーグのような形を取るそうですが、そういった今回の独立リーグの地域のことを考えたりアマチュア選手の受け皿になるチームを作る計画には、私としてもとても評価をしております。

     しかし、リーグの運営面や環境面について言わせてもらうと、私は、彼らは考えが甘いと思うのです。収益や費用はリーグ機構で、スポンサー資金を含め一括管理するものの、その肝心のスポンサーがまだ正式に決定しておらず、支援を表明している大企業スポンサーも少ないとのこと。しかも、地方自治体や地元企業からの財政協力や出資もこの不況のなかではとても難しいと思うので、このままの状態だと、仮にリーグが出来たとしても、すぐに経営に行き詰まり、3年持つのが精一杯なのではないでしょうか。
     私としては、どうせ独立リーグのチームを作るのならば、所属する全てのチームが初めから独立採算制を取り入れ、自分達のチーム単位で球団スポンサーを探し、自分達の食い扶ちは自分達で賄うようにして、球団側も選手たちも本当の意味でのハングリー精神を持たないと、リーグが長続きしないと思うのです。球団運営やスポンサー資金など金銭面の管理をリーグ機構に全て任せ、自分達のチームが何の努力もしないようでは、数年後にチームが頓挫する事は目に見えていると思います。


     また公式戦をやるにあたって、四国地方の野球に対する環境も、今の状況はまだまだ物足りないような気がします。中でも私の住む高知県の環境はとても深刻なものです。
     プロ野球の公式戦を行なうために一番重要なのは、グラウンドの広さと、何よりもナイター施設の有り無しなのですが、現在、高知県内にある主要球場でナイター施設が設けられている球場は、1つもありません。
     ここに、高知県にある3つの球場、春野球場と高知市営球場、ならびに東部球場の簡単なガイドをつけておきます。

     【春野球場】
     両翼が100Mでセンターが122M。ここは収容人数が最大15000人で、しかも内野席はすべて独立した椅子席。外野もバリアフリー対策は出来ているが、アマチュアの試合を最優先に予定を組んでいるので、独立リーグの公式戦を行なうには不向き(最近は6月の都市対抗の予選と9月の日本選手権の予選を四国の主要球場を持ち回りする形でやっているが、どちらかの予選は毎年春野でやっている)。スコアボードは磁気式の電光掲示板。

    《春野球場で行なわれる主なアマチュア大会》
    ・6月 社会人野球 都市対抗野球予選 (週末に3日間ほど)
    ・7月 高校野球 夏の全国高校野球県予選  (1週間ほど)
    ・8月 中学野球 高知県選手権大会     (3週間程度)
    ・〃  高校野球 新人戦(秋季選抜)    (1週間ほど)
    ・9月 高校野球 秋季大会県予選(週末メインに5〜6日間)

     【高知市営球場&東部球場】
     高知市営球場の両翼は96M、センターまでが121M。(高知市のHPの発表によれば両翼96Mセンターまで116Mだが。)東部球場の両翼は94M。センターが120M。椅子席は背もたれ無しのベンチシートで、市営球場の場合はバックネット裏に簡素な放送席があり、その下が日よけにはなる。
     交通アクセスについては、市営球場は高知駅から車で15分ほどのアクセス。路面電車では高知駅から最寄り駅へ15分。そこから更に徒歩10分。一方、東部球場までのアクセスはとても悪く、中心部からバスで15〜20分でバス停から更に5〜10分。しかもバスの本数が少なく、1本乗り損ねると1時間待ちはザラ。市営球場は高知駅から15分ほど。両球場ともスコアボードは磁気式の電光掲示板。

     今回、独立リーグで高知に出来るプロ野球球団が本拠地に設定する予定である高知市営球場や高知市東部球場には、私もファームの公式戦や春季キャンプなどで何度か足を運びましたが、両球場共にグラウンドの大きさ自体には問題がないものの、ナイター施設を設置するためには億単位の費用がかかる上に、球場近くには幹線道や民家が並んでいるため、騒音の問題などで、ナイター施設の設置は不可能です。しかも、観客収容人数についていえば、市営球場は最大で7000人、東部球場も最大5000人と少なく、売店も市営球場には正面入り口に一つだけしかありませんし、東部球場も同様に入り口付近に小さい売店があるだけです。したがって、この2つの球場は、公式戦をするには物足りない収容人数や施設なのです。

     その上、独立リーグの公式戦シーズンに入る5月から9月までの時期には、丁度夏の全国高校野球大会の県予選や中学野球の県大会、さらに、毎年150チームほどが参加する職場早起き軟式野球大会が市営球場や東部球場で行なわれ、その大会日程を無視する事ができないことから、スケジュール面でも相当な影響を受けることは間違いないのです。

     今回、独立リーグの旗揚げの話を受け、高知県の橋本大二郎知事や高知市の岡崎誠也市長は、球場の使用料の減免など、協力できる事は協力すると述べておられましたが、アマチュア野球のスケジュールを最優先させる上に、赤字の多い今の県や高知市の財政状況からして、ナイター施設の設置が不可能となってしまうと、現状では高知市にある2つの球場での公式戦実施は難しく、最悪の場合、高知市中心部から車で30分ほどかかる春野町にある県営春野球場や土佐山田町にある土佐山田スタジアムなどの高知市近郊の球場で公式戦をこなすのが精一杯になるのがせいぜいなのではないでしょうか。
     そして今回の四国独立リーグの旗揚げにおける市民の反響を見ていると、せっかく独立リーグながら地元にプロ野球チームが誕生するというのに、とても淡々としており、冷ややかなものだと感じています。というのも、私の住む高知市内で今回のニュースは全く話題に上らず、街中やファンの中でも全く盛り上がらない有様だからです。これは独立リーグの話が唐突に地元の新聞などで報じられた事も理由にあるのですが、ここ最近の高知市は、毎年秋にウエスタンリーグの教育リーグであるよさこいリーグが行なわれる際も、試合が行なわれることを知っている野球ファン自体が少なく、昨年私が観戦した時も、多くの観衆が見込まれるはずの週末ですら300人も入っていなかった試合があり、このよさこいリーグに対するプロ野球ファンの関心の低さを感じました。高知県は、毎年春に阪神タイガースが安芸キャンプに訪れる際、県内の殆んどの野球ファンが大いにこれを歓迎し、キャンプの話で盛り上がっているものの、秋の教育リーグになると手のひらを返したかのように盛り上がらないのです。こんな調子だと、仮に来年高知にプロチームが出来たとしても、ファンや市民の盛り上がりが少なく、廃れてしまいそうな感じがします。
     この新しい四国独立リーグを成功させるためには、地方共同体と協力して公式戦が出来る環境に球場や設備を整えたり、リーグの運営面についてもしっかりと土台を固めることも大事なのですが、それ以上に、四国全体の野球ファンや市民が、地元の県にプロ野球チームが出来ること、あるいは独立リーグについてもっと関心を持って応援できるようにすることが一番大事なのではないでしょうか?四国は元々高校野球など野球に関する関心が高いところですので、野球ファン一人一人が新しく出来る独立リーグを盛り上げ、小さな事でも多くの人が関心を持てるようになれば、時間はかかるかもしれませんが、きっと独立リーグが成功するには違いないと思います。

     日本でのプロ野球独立リーグは、今回四国で行なわれるケースが初めての試みなのですが、リーグをやる以上は、ぜひ成功して、将来独立リーグを作りたい地方やプロ野球入りを目指す選手たちに夢と希望を与える結果を出してほしいと思います。



     第8回 「よさこいリーグ観戦記 10・24 近鉄ラストゲーム」


     2004年10月24日。この日はプロ野球ウェスタンリーグの秋季教育リーグ、よさこいリーグの最終日でした。そして同時に、大阪近鉄バファローズにとっては、56年間の歴史に幕を閉じるラストゲームが行われた日でもあったのです。
     当日の高知市東部球場は、少し雲があったものの青空が見え、絶好の野球日和でした。スタンドを見渡してみると、大阪近鉄のホームゲーム扱いであることから、全国からこの日の為にやってきた数多くの猛牛ファンのみなさんや、取材のために訪れた在阪テレビ局のスタッフのみなさんの姿がありました。またそのスタンドの上には、「これからもめっちゃ好きやねん、バファローズ。」や「我らのチーム、バファローズ。」などたくさんの横断幕がかけられ、トリコロールカラー時代の懐かしいユニフォームでやってきたファンもたくさんそこに陣取り、球場全体が大阪近鉄の現チームカラーである赤一色に包まれていたのです。

     この日は、よさこいリーグの最終戦という事で、7回打ち切りもしくは2時間30分で打ち切りという特別ルールにて、午前10時に試合が始まりました。近鉄の先発は阿部健太。昨年はルーキーながら2勝を挙げたものの、2年目の今年は1軍登板がたった2試合にとどまったため、レベルアップのためのテスト先発登板と相成りました。
     この試合の彼は、序盤から速い球と球ギレの良さが光り、常にストライクを先行させる投球で、4回までパーフェクトに抑える素晴らしいピッティングを見せてくれました。一方のダイエーの先発は杉内俊哉。昨年は日本シリーズでMVPを獲得するなどの大活躍を見せたものの、今年は、序盤KOされた腹立だしさから自らの拳で壁を叩いた際に骨折をするという不慮のケガで長期離脱したため、今シーズンは2勝3敗の成績に終わっていましたが、1回を13球で無安打無失点に抑え、まずまずの立ち上がりを見せました。しかしこの日の出番は、この1イニングだけ。これにはノスタルジーに浸っていた近鉄応援団からブーイングが起き、「大人気ないぞ!ダイエー!」や「今日が最後(の試合)だぞ!」という野次が飛びかいました。ですがその後、杉内の代わりにダイエーが送り込んだ星野が好投し、両チーム共に4回までノーヒットという素晴らしい投手戦となりました。

     4回終了後のグランド整備の際には、近鉄ファンの間から応援歌の合唱があり、それに続きパ・リーグの連盟歌である「白いボールのファンタジー」の歌声が球場内に響き渡りました。そしてその後、近鉄のファンの間から外野芝生席のダイエー応援団に対して「いいな〜。お前らの所は買ってくれる所があって・・・。」というボヤキが聴こえました。

     さて5回の攻防。ダイエーはこの回、1アウトから5番高橋が死球で出ると、エラーと進塁打で2アウト2,3塁とし、8番の北野がチーム初安打となるサードベース強襲の内野安打で先制。続く稲嶺がセンター前タイムリーを放ち、2点目を取りました。しかし諦めない大阪近鉄は、その裏に3番手の松と4番手の松本を捉え、1アウト満塁から代打・大西が左中間をきれいに破るツーランダブルで同点にすると、更に続く山崎がキッチリ犠牲フライを打ち、あっという間に逆転し、場内はかなり盛り上がりました。その後大阪近鉄は、先発阿部が6回までに79球を投げると、被安打3、2失点の内容で佐藤に交代させています。

     7回、ダイエー最後の攻撃。2番手の佐藤が1アウトを取ると、すかさず3番手に、かつてのドラフト1順目指名ピッチャーである朝井がマウンドに立ち、2アウト。試合が終わりに近づくにつれ、私の頭の中には、この大阪近鉄バファローズ思い出のシーンが、走馬灯のように次々と甦ってきました。「江夏の21球」、「1988・10・19川ア劇場」、「ブライアントの4連発」、「野茂のトルネード投法」、「北川の代打逆転サヨナラ優勝決定満塁ホームラン」など。もうこのユニフォームも、このチームの試合を見るのも今日が最後・・・。
     そして、最後のバッター的場をサードゴロに討ち取った瞬間、大阪近鉄バファローズの歴史にピリオドが打たれました。結果は3−2。大阪近鉄は見事接戦を制し、有終の美を飾ったのです。

     試合後、グラウンドでは大阪近鉄のサヨナラセレモニーが行なわれ、その後、大阪近鉄の球団歌が流れる中、石渡監督以下コーチ陣、更には裏方のスタッフの方達までが、選手達の手で次々と胴上げをされていきました。そして選手達からスタンドのファンへグローブやボールが投げ込まれ、ファン達が飛ばした赤いジェット風船が青空の下、高く高く舞い上がり、いつまでも別れを惜しんでいました。
     55シーズンの間、大阪近鉄は日本一の座に一度もつくことなく、今年オリックスと合併し、来シーズンから「オリックス・バファローズ」という新チームとなります。しかし私達は大阪近鉄バファローズという素晴らしいチームがパ・リーグにいたことを、永遠に忘れる事はないでしょう。どうか選手の皆さんやスタッフの皆さんには猛牛魂をもって、新しい舞台にて成功をしてほしいと心より願っています。

     「56年間、夢と感動をありがとう。そして、さようなら・・・。大阪近鉄バファローズ」



     第9回 「四国独立リーグへの道」


     今年9月、IBLJ(株式会社日本独立リーグ)代表の石毛宏典氏が、来年の春、四国地方にプロ野球独立リーグを立ち上げるという発表を行ってから約3か月が経ちましたが、その間、来年の開幕に向けて色々な動きがありました。
     今回は、ここ3か月の動きと共に、現状の問題点について述べていきたいと思います。

     まず選手集めの話ですが、来年リーグに参加する選手のトライアウトが今月5日、高松市にて行なわれました。そして今後、これを皮切りに、全国5会場で同様のトライアウトが行なわれます。これら一連のトライアウトを行うにあたっては、全国から約900人の選手が応募し、5日の高松のトライアウトでは、そのうちの171人が受験しました。900人という応募者の数については、初めての独立リーグという興味もあって多くの応募があったものと思われますが、それ以上に、選手達自身の何が何でもプロ選手を目指そうという心意気が表れたのではないでしょうか。この中には甲子園を経験した選手や大学・社会人野球で活躍した選手も多く含まれていますが、合格する100人ほどの選手がどういった顔ぶれになるかが本当に楽しみです。

     また、監督・コーチ陣の顔ぶれも大体固まり、元・ロッテ監督の八木沢荘六氏や元・広島の西田真二氏などの7人が参加するだけでなく、更に各チームのアドバイザリースタッフとして、愛媛は藤田元司氏、香川は中西太氏、徳島は上田利治氏、高知は須藤豊氏が就任する事が決まりましたが、4チームのアドバイザーにそれぞれの県出身のプロOBを起用するのは、なかなか巧い起用だと思います。ただし欲を言えば、監督やコーチも、それぞれの県出身者のOBで固め、これら指導者に就任する野球関係者のみなさんも選手と共に成長し、指導者としての手腕と技術を磨ける環境を作るべきだったのではないでしょうか。
     なお、監督・コーチ陣の全スタッフが明らかになるのは来年以降で、残る5人(各県共にコーチングスタッフは3人ずつ)の顔ぶれがどういったものになるかが注目されます。

     次にスポンサー集めについてですが、こちらは順調に事が進んでいるようで、以前から発表されていたJR四国と四国コカコーラのほかに、NECやJALセールス、太陽石油などが名乗りを挙げて、目標資金額の2億4000万円をクリアできる見込みになりました。しかし運営資金は確保できるものの、前にも私が述べたように、独立リーグを謡っている以上はそれぞれのチームが独立採算制を採り、更なる球団スポンサーを探すといった経営努力をすべきなのではないでしょうか。
     これまで集まったスポンサーのみなさんには、あくまでもリーグ全体のスポンサーとしてリーグ運営面などで協力していただく一方、選手やコーチ陣のみなさんの給料は、各チームがそれぞれ探してきた球団独自のスポンサーに支払っていただき、さらに球団のグッズ商品の販売によって、チーム自体の収益を出す努力をすべきだと思います。

     次に試合の運営についてですが、こちらも課題がいまだに山積みという状況です。
     この独立リーグでは週に4日、各県の県庁所在地にある球場でナイトゲームを行なう事を計画していますが、今月6日の毎日新聞の記事によりますと、現在ナイトゲームとしての開催条件をクリアしているのは高松市にあるオリーブスタジアムだけであり、他のナイター設備付き球場はいずれも条件をクリアしていません(ちなみにこの記事には載っていないが、松山市の坊っちゃんスタジアムは基準をクリアしております)。更に、高知県にある主要球場ではナイター設備がない上に、球場の使用もアマチュアの大会を優先させる形になっているために、球場確保もままならないのです。石毛代表は「高知ではしばらくの間デーゲームを行うが、(ナイター設備は)アメリカではやれるくらいのものだ。」と強気のコメントを出す一方、地方自治体に対しては、球場の使用料を安くするように働きかけを行なっていますが、この計画が上手くいかなければ最悪の場合、四国各地の球場をまわりながら、全てデーゲームでの試合を行わなければならないハメになるので、リーグ機構はもっと球場を管理する自治体に独立リーグの必要性をアピールし、理解を求めるようにしなければいけないと思います。

     また、試合を裁く審判員の問題も深刻です。当初機構は、高野連に所属する審判員の方々に協力を依頼していましたが、プロアマ規則の問題でこれが頓挫してしまったので、プロ野球OB審判や軟式野球の審判のみなさんに協力を求め、これらの方々を登録制で雇う事になりましたが、この問題については独立リーグ計画を決めた時に、事前に規則などを研究して最初にきちんと段取りを行い、根回しをやっておくべきだったのではないでしょうか。ところがそれを行わず、このようにゴタゴタする結果を招くことになったのは、明らかに機構側の怠慢だと思います。
     それに加え、軟式野球の審判のみなさんを雇うとはいっても、ルールも硬式野球とでは異なる点がたくさんあります。したがって、そういったルール面についての研修もキチンと行っておく必要があります。

     さらに、地元ファンへの浸透も、まだ充分だとはいえません。確かに今回トライアウトが行なわれた高松市では、地元の新聞でも再三報じられていた事もあり、少しずつながら関心を持つ人が増えてきたとは思いますが、四国全体で言えばまだまだ微々たるものだという印象があります。
     私の住む高知でも、独立リーグ構想が発表されてから3か月が過ぎるというのに、メディアの掲載もほとんど無く、街の話題にすら上っていないのが現実です。
     この独立リーグについては、ただやればそれでいいというものではないですし、リーグ機構は、もっと広く市民に新しいプロ野球リーグについてPRを行い、ファンの裾野を広げる必要があるのではないか、と私は思っています。

     四国アイランドリーグの開幕まであと半年に迫ってきましたが、今後はリーグ側も地元ファンに大きくアピールして、球場に多くのファンが集まるような話題を提供すべきなのではないでしょうか。



     第10回 「今年のスポーツを占う 〜大相撲編〜」


     読者の皆さまこんにちは。一豊です。今年1年もまた、どうかよろしくお願い申し上げます。今回からは年初ということで、連載のペースを一時的に上げ、数回にわたって今年の注目スポーツについてお送りしていきたいと思いますが、まずは大相撲からです。

     近年、大相撲の世界における外国人力士、特にモンゴル勢の躍進は非常に目覚しいものがあり、今年の初場所現在、70人いる関取衆のうちの12人は外国出身力士で、しかも、そのうちの7人がモンゴル出身力士でなのです。更には幕下以下にも将来有望なモンゴル出身力士が多く、近い将来には、横綱・大関をはじめとする番付の上位を彼らが占めてしまうのではないかと思わせるほどの勢いがあります。

     しかし昨年からは、稀勢の里や豊ノ島、琴奨菊など、将来を嘱望される若手日本人力士が台頭してきたので、彼らが今後順調に出世していけば、3年後あたりには、彼らが横綱や大関になれるのではないかと私は思っています。中でも稀勢の里は昨年、歴代2位の若さで入幕を果たしただけでなく、相撲センスについても、同世代の力士の中では抜群のものを持ち合わせており、しかも弱冠18歳であることから、「ポスト貴乃花」として活躍が期待される力士となる事でしょう。
     また、最大の焦点は、何といっても新しい日本人横綱の誕生に尽きます。三代目若乃花が平成10年に横綱に昇進して以来、日本人横綱は6年以上も誕生していないんですね。それだけに、新たな日本人横綱の誕生は、相撲ファンだけでなく、全てのスポーツファンが期待していることなのではないでしょうか。そして、その横綱に一番近い存在として、私は大関・魁皇の名前を真っ先に挙げたい。
     魁皇は昨年の春場所から5場所の通算成績が59勝16敗、しかも12勝以上の成績を3場所マークしており、先々場所、先場所と連続で横綱・朝青龍を下しております。
     30歳を越えた力士は老人、と一般的に思われている大相撲の世界でも、彼は今年で33歳を迎えるベテランなのですが、決してこの年齢で遅すぎるということはない。あの大横綱・千代の富士が円熟味を増したのは30歳を越してからですし、30歳を越えて横綱になった力士も、過去にはちゃんと何人かいるのです。

     戦後の大相撲史上、30歳を超えて横綱になった力士は、前田山、吉葉山、琴桜、三重ノ海、隆の里、旭富士の6人です。この6人のデータを振り返ってみますと、前田山と吉葉山は今の魁皇と同じ年齢に当たる33歳で横綱に昇進していますし、琴桜は大関在位32場所かかった上での昇進、そして三重ノ海は21場所かかっただけでなく、一度は関脇に陥落したにもかかわらず、昇進を果たしております。ですから、今場所で大関在位26場所目を迎える大ベテラン・魁皇にも、まだまだ横綱昇進のチャンスはあるのです。
     そこで、彼が横綱に上がるための課題としては、第一に、数少ないチャンスをしっかりとモノにする、ということが挙げられます。過去の6人は、これをきちんとクリアした上で横綱という地位を手に入れているのです。
     特に琴桜の場合、昭和46年秋場所後、横綱・玉の海が病気の為に急死し、横綱が北の富士1人だけで、清国(元大関)や輪島(元横綱)、貴ノ花(元大関)などが横綱の地位を目指し、目の色を変えて挑戦していた厳しい時期に、この競争を勝ち抜いて、横綱の地位にまで上り詰めております。

     昭和47年の琴桜は、初場所以降勝ち星が10、10、1、8、9勝と全く振るわなかったものの、その年の九州場所の千秋楽で北の富士を倒し、14勝を挙げて優勝すると、翌年の初場所でも再び千秋楽に北の富士を下し、14勝を挙げて連続優勝し、横綱昇進を果たしました。
     この状況をいま現在の相撲界と比較すると、横綱は朝青龍たった一人だけであることから、極めてこの時に似た状況にあるといえるのではないでしょうか。
     それに加え、魁皇の相撲は、リンゴも簡単に握りつぶせるほどの類稀な握力を活かした、右上手を取ったときの豪快な投げ相撲で、調子のいいときは横綱と肩を並べるような迫力があります。これは過去、怪力として名を馳せた清国や出羽の花のそれを上回るものだと私は思うのです。
     ところが一方で、彼には致命的な欠点があるのではないかと私は感じております。それは、ここ一番、というときに垣間見える、彼の気の弱さです。いままでの経緯を見ておりますと、綱取りがかかった場所に入ると、極度の緊張によって相撲がバラバラになり、彼独特の強さが影を潜め、連敗してそのチャンスをことごとく逃しているのです。
     しかし先場所は途中、白鵬や雅山などに不覚をとって3敗した12日目から、若の里、千代大海、朝青龍といった強豪をことごとく破り、今場所に望みを残したことで、精神面では一応の成長を見せているのではないかと私は期待しております。あとは先場所の相撲を自信に変えていけば、今場所の優勝、そして横綱昇進の可能性はあるのではないでしょうか。6日目現在3敗しておりますが、5日目に連敗を止めたことで、これをきっかけに一転、優勝争いを勝ち抜き、朝青龍を下して横綱になってもらいたいものです。

     次回は、ゴルフ編です。


     第11回〜はこちら


現連載

過去の連載

リンク