NPBにおける受難の時代 by ICHILAU&MB Da Kidd

    NPBにおける受難の時代 〜小久保無償トレード事件〜 MB Da Kidd

    NPBにおける受難の時代 〜パルマラット倒産事件〜 MB Da Kidd

    NPBにおける受難の時代 2004.3.30. MLB開幕戦特集 〜チケットの値段は適切か?〜 MB Da Kidd

    NPBにおける受難の時代 アフリカ野球友の会特集 〜その1〜 MB Da Kidd

    NPBにおける受難の時代 アフリカ野球友の会特集 〜その2〜 MB Da Kidd

    NPBにおける受難の時代 アフリカ野球友の会特集 〜その3〜 MB Da Kidd



     NPBにおける受難の時代 〜小久保無償トレード事件〜 MB Da Kidd

     ちょっと今回は、見過ごせない事件が起きましたので、イタリア・セリエA事情考察は後回しにし、この件についてコメントしておきたいと思います。

     まず最初に、この事件の経緯についてご存じない方のためにざっと説明申し上げますと、これは、今年の日本シリーズで、阪神タイガースを4勝3敗で下し、日本のプロ野球12球団の頂点に立った福岡ダイエーホークスの4番打者として永らく貢献してきた小久保裕紀選手が、突然、読売ジャイアンツに、無償でトレードとなった事件です。

     ただ、この事件が起こる前には、今年のオープン戦で本塁に突っ込んだ際、右ひざを故障し、結局この2003シーズンを棒に振ることになったというのが第1点、第2点としては、小久保選手が球団指定の医療機関を使わなかったため、その際の治療費に1,000万円近くがかかっているわけですが、これを自費で払わなければならなかったという点、この2つの点が問題になっています。そして、日刊スポーツ11/3日号の記事によりますと、

     「不信感はないが、経営する立場と、個人事業主としての選手の意見が交わることはない。そういうことは期待していない」

     と小久保選手は述べたそうですが、ちょっとこういった一言では到底済まされない事件です。

     この事件については、まず最初に、球団を経営する側としてのホークスに問題があります。報知新聞11月3日号によれば、

     「選手会長として球団と交渉する中で、僕自身、聞かなくてもいい話まで聞かなくてはいけなかった。成績がよければ褒められるし、悪ければ年俸にはね返ってくる、そういう純粋なところでやりたい」

     と小久保選手は述べたそうですが、そもそも契約交渉の場に『聞かなくてもいい話』が出ること自体がおかしいのです。ホークスの親会社たるダイエーが巨額の負債を抱え、返済する目処をつけるために手段を選ばず費用をカットしていく必要があるのは当然ですが、そのダイエーの事情は旧経営者たる中内功氏の経営判断の失敗によるものであり、中内氏が個人資産を全部投げ打って、その上でダイエーという企業が努力して会社を維持すればいいだけの話です。場合によっては、ダイエーという会社自体、オーナー職を下りても、選手、メディア、そしてお客様たるファンやスポンサー企業(この場合はホークスという球団を保有せずに、ホークスという球団を利用して広告宣伝活動をやっている中小〜大企業ということです。球団を保有しているダイエーとは異なります)には関係ありません。

     もちろん球団側としては、契約交渉をやっていく中で、チームのリーダーとしての立場があるからこそ、小久保選手に親会社の経営状況などを話しているわけですが、こういう話を労使交渉の場で出すのは、一般会社の正社員たる従業員に対してなら理解できますが、契約社員であり、一個人事業主たる野球選手には関係ないことなのです。

     それに加えて、普段からこういうケジメのないことをやっているからこそ、いざというときに年俸を下げることができないのです。毎日新聞11月13日号によれば、巨人側は当初、ホークス側に、「球団への移籍金1億円、小久保選手の年俸1億1千万円」の条件を提示していたそうですが、今年1年を怪我で棒に振り、活躍できなかった小久保選手が年俸2億1千万円を維持できないのは自明の理であり、巨人側の判断は極めて妥当なものであると私は考えています。ところがこれを、移籍金1億円を放棄し、小久保選手につけるという手段で『解決』した高塚球団社長のやり方は、自らの中途半端な情実経営の甘さとそれまでの治療云々の経緯における自らの説明不足を『カネ』で買収することによって収め、結果的に球界の契約金制度ないし保留制度、ならびにFA制度そのものの基礎をないがしろにしてしまいました。高塚球団社長は、ホークスの資産である『小久保選手との保留権』を、自らの保身のために、自らの勝手な判断で放棄してしまったのです。
     これは、ホークスに対してだけではなく、日本プロ野球という世界自体に対する重大な背信行為と言えるでしょう。

     また、これに続いておかしいのは、西日本新聞11月12日号の高塚球団社長へのインタビューによりますと、

     「中内オーナーが、小久保選手に治療費の全額負担を約束したが、それはオーナーの勘違い。契約書には、国内の指定された医療機関で治療を受けること、それ以外の差額は本人負担と明記されている。」

     となっていることです。契約書の内容を熟読していない中内正オーナーにミスがあったことはもちろん問題ですが、それ以前に、

     『国内の指定された医療機関で治療を受けること、それ以外の差額は本人負担』

     という条項が契約書にあること自体がおかしい。野球選手という職業は特殊ですから、怪我の治療については、『国内の指定された医療機関』では完全に治療できないというケースも充分ありえます。したがってこの場合は、国内・国外を問わず、一定料率まで治療費を球団側が負担する、それと同時に、年俸の中から一定の保険料率をとって、選手会側が保険の仕組を分担するようにするべきなのです。
     高額の治療費を出すことは選手としても苦しいわけですから、これはシステム上の不備の問題です。したがってこのことにつき、高塚球団社長がその欠点を指摘できないのはおかしいわけで、ホークスという球団を経営している人間の一人として、本当に野球を理解しているのかという点で、この人の資質に疑問が残ります。

     今回の問題を考察するに、まず根本にあるのは、高塚球団社長という人物がいかにプロ野球興行に対する理解が足りないかということと、いかにビジネスのプロフェッショナルとしての姿勢が甘いかということです。
     しかし、こういう資質の足りない人物が球団社長職に居座っていられるのは、日本のプロ野球が、トップに野球を知らない人間を据えるというシステムが確立しているからでもあります。したがって今週のB_windさんによる指摘もあわせ、読者のみなさんも今回の私からの指摘について、真剣に考えてみていただければ幸いです。



     NPBにおける受難の時代 〜パルマラット倒産事件〜 MB Da Kidd

     読者のみなさま、明けまして、おめでとうございます。今年は年初より、このワタクシが日本のスポーツビジネスの世界に導入しようとしてあちこちに働きかけている、『選手を資産として帳簿に載せる』というコンセプトの導入部から書こうかと考えていたのですが、突然、先週いったん解説を区切ったはずのイタリアサッカー、セリエAにおいて大事件が起こったので、今回はサッカービジネスとはすこし関連させながらも、ちょっと違った切り口で、読者のみなさまにこの事件についての解説をお届けしようと思います。
     この事件とは、いうまでもなく、中田英寿選手が所属していたパルマの親会社、パルマラットの倒産事件(2003.12.24.)です。

     今回のパルマラットの倒産事件は、日本版NEWSWEEK誌では欧州版*1エンロン事件とも呼ばれ、イタリア経済のあり方の問題点を浮き彫りにしたものになりました。

    *1 エンロン事件

     アメリカで急成長してきたエネルギー会社のエンロンが、帳簿に載っていない取引によって大きな損を出し、倒産した事件。
     この影響でヒューストン・アストロズの本拠地、エンロン・フィールドのネーミングライツの契約が空中分解し、その後ミニッツメイド・パークへと名称変更したのは、みなさんの記憶にも新しいところであろう。

     パルマラットの倒産の引き金になったのは、*2タックスヘイヴンとしてケイマン諸島に設けていた子会社のボンラットにおける会計粉飾です。ボンラットは、取引銀行であるバンク・オヴ・アメリカに約40億ユーロ(5,300億円)に上る現金や証券を預けているという報告書を会計監査を行っていた会計事務所に提出しましたが、会計事務所がこのことについて確認を取ったところ、バンク・オヴ・アメリカ側の指摘によってこれが粉飾であることが発覚したため、パルマラットは12月19日にこのことを発表した後、12月24日、パルマ市地裁に破産法の適用を申請し、倒産しました。
     なお、その後のイタリア司法当局の捜査により、粉飾額は合計で100億ユーロにも上ることがわかり、創業者のカリスト・タンツィ氏が12月27日に逮捕されたのです。

    *2 タックスヘイヴン

     税金をとられるのを避けるために、税金がない土地に会社を作って、そこで利益が出たという帳簿を作ること。これによって、多くの利益を上げた大企業やミュージシャンは、たとえ自分の母国で多くの税金を取られてしまう可能性があっても、税金をとられなくて済むようになるので、大きな節税となる。一方、タックスヘイブンを設けている国や地域としては、多くの企業やカネが集まり、そこが有名になるというメリットがある。

     今回の粉飾事件から倒産に至る流れというのは、イタリア経済独自の問題があると日本版NEWSWEEKの記事では指摘しておりました。
     つまり、粉飾をしやすい土壌が、イタリア経済にはあるということです。

     イタリア経済は、大会社に同族企業が多いのが特徴です。ユヴェントスの親会社フィアット、ACミランの親会社メディアセット(ベルルスコーニ首相が会長になっている会社)、服飾メーカーのベネトンといったものは典型的なイタリア大企業ですが、これらはいずれも同族会社になっています。
     そして、その同族会社の下に、多くの中小企業があるのです。

     ちなみにこれらの中小企業の利益を代弁し、イタリアにおいてメディアセットという大企業グループを育て上げたベルルスコーニ首相は、イタリア経済活性化の象徴とも呼ばれるような存在で、そのためにイタリア国内では大きな支持を集めていますが、その彼がイタリア経済をさらに活性化させるために企業不正の取締りを緩和したため、それ以降パルマラットの粉飾決算はひどくなったと今回の不正事件の捜査資料には書いてあったそうです。

     会社は、大規模になればなるほど、世の中における責任が重くなります。そのために、規制が大きくなります。
     日本でいえば、会社の帳簿を調べるための監査のハードルが、会社の資本(元手)、あるいは負債(借金)が大きくなればなるほど、高くなります。
     ところがイタリアでは、大企業であっても同族会社である限り、中小企業と同じレベルの監査しかなされていないのです。具体的な内容については難しくなるので説明を割愛しますが、このために、非常に粉飾決算をやりやすくなってしまっています。

     したがってうがった見方かもしれませんが、カネの流れが不明である以上、その会社がサッカーチームのオーナーである限り、無制限のカネを選手獲得競争につぎ込み、選手の契約金と年俸を法外に吊り上げることも可能になります。
     近年のサッカーバブルの背景には、ルパート・マードックが仕掛けた放映権の吊り上げの問題だけでなく、こういう事情が多少なりとも影響しており、『金持ちの道楽』としてのサッカーチーム運営に大きな影を落としてきたことも、考慮に入れる必要があります。
     つまり、こういう大会社のオーナーのエゴによる選手の年俸・契約金の吊り上げが、中小のクラブの運営に大きな影響を及ぼし、移籍金を得るために選手を売却・放出するという結果になっていることを、一般のスポーツファンは理解する必要があるでしょう。

     さて、パルマ側としては、サンケイスポーツWeb版2003.12.25号によれば、独立採算を進めており、チームの運営に影響はないとネビオロGMが語っているそうですが、実のところはわかりません。なにしろパルマラットが90%の株式を持っているということですので、これからどんどん選手を売却し、親会社の倒産の際に出た欠損金の穴埋めに使うというのは、充分ありえることです。
     セリエAチームのオーナー会社は、日本のプロ野球の親会社よりも、はるかにゆるい規制の下にあります。したがって、今回の騒動やフィオレンティーナの破綻を見ていると、日本のプロ野球以上にセリエAは危うい環境の中にあるというのが私の個人的な見解ですが、同時に、普段から親会社を頼らずに独立経営をやっているのが、スポーツチームとしては健全な運営の仕方なのだなぁ、という感を強くした次第です。
     やはり、『いざとなると親会社』では、親会社が倒産した場合、チームごと吹っ飛ぶ可能性が非常に高いからです。

    【参考資料・Web】

    ・NEWSWEEK日本版1月14日号 P.39 『欧州版エンロン事件の闇』 シュテファン・タイル著
    ディプロ2002-4 ベルルスコーニを生んだイタリア資本主義の再編 ピエール・ミュソ(レンヌ第二大学情報科学教授)著 安東里佳子訳
    ・サンケイスポーツweb12月25日記事 『パルマ中田の去就Xデーは12・30』



     NPBにおける受難の時代 2004.3.30. MLB開幕戦特集 〜チケットの値段は適切か?〜 MB Da Kidd

     先週から連載を開始したアフリカ野球友の会特集ですが、今月末よりいよいよアフリカ野球チームが始動しますので、この始動にあわせ、今月末以降にこの連載を移動させ、今回は、実際に私がある方の好意によって観戦してきた、先日3/30のMLB開幕戦のチケットの値段について書いておきたいと思います。

     この日の私は、私にチケットをプレゼントしてくださった方と現地で待ち合わせましたが、その席はバックネット裏の席で、定価では\25,000もするというシロモノでした。私の席の付近にはデイヴ・スペクターとロバート・ホワイティングのコンビ、あるいは中曽根康弘元首相といった面々がおり、真上のオーナー席には、渡邊恒雄読売新聞社社主、小泉純一郎首相、森喜朗元首相などがいるという『ちょっとセレブな』席だったのです。

     そもそもヤンキースの来日自体が1955年以来の50年ぶりということもありまして、この日はサッカーW杯の日本開催と同様、非常に稀少性のある、価値の高いイベントだったということが、いえます。
     したがって、バックネット裏の席にこれだけ高価な値段がつくのも仕方ないのかな、と思いつつ、高額と思われる他イベントのチケットの値段と比較してみますと、

    【2004リコーMLB開幕シリーズ ニューヨーク・ヤンキース対タンパベイ・デヴィルレイズ】

     指定席S \25,000
     指定席A \18,000
     指定席B \10,000
     指定席C  \6,000
     外野席   \5,000

    【2002サッカーワールドカップ決勝戦】

     カテゴリー1(スタンド中央付近) \84,000
     カテゴリー2(ゴール斜め後方付近) \56,000
     カテゴリー3(ゴール裏付近) \34,000

    【PRIDE GRAND PRIX 2004開幕戦】

     VIP(専用入場ゲート、グッズつき) \100,000
     RRS(ロイヤルリングサイド) \30,000
     スタンドS \17,000
     スタンドA \7,000

    【K−1 WORLD GRAND PRIX 2004 in Nagoya】

     SRS席 \25,000
      RS席 \15,000
       S席 \10,000
       A席  \6,000

     となっており、稀少性の高いイベントにしては、決して割高ではないというのが私自身の感じたことでした。
     それに加え、入場者全員には読売新聞社より、この開幕シリーズ記念の、ヤンキースとデヴィルレイズのロゴ入りの時計が配られたこともあり、チケットの値段そのものは高いですが、ここまでもらえるのならば仕方ないか、とあきらめられるような値段でもありました。

     しかしながら私としては、どうも割り切れない思いがあったのです。というのも、希少性が高いという条件を除けば、野球観戦のチケットとして、果たして適切な値段なのか。そこに大きな疑問があったからです。
     ちなみに、高いといわれている東京ドームの巨人戦チケットの料金と、2003年度の日本シリーズの料金は以下のとおりです。

    【2004年度の東京ドームにおける巨人戦】

     指定席S \5,900
     指定席A \5,200
     指定席B \3,700
     指定席C \2,300
     指定席D \1,800
     外野指定席 \1,700
    (立見席と車椅子席は省略)

    【2003年度日本シリーズ】

    [阪神甲子園球場]
     特別指定 \6,000
     アルプス指定 \4,000
     外野指定 \2,500

    [福岡ドーム球場]
     S指定 \8,000
     A指定 \6,500
     B指定 \4,500
     外野指定 \2,500
    (立見席とビッグライフ[スポーツバー]席は省略)

     このように、今回のMLB開幕戦のチケットの値段は巨人戦や日本シリーズに比べても、その3〜4倍の値段になっています。

     また、実際にヤンキースタジアム(ニューヨーク・ヤンキース)やトロピカーナ・フィールド(タンパベイ・デヴィルレイズ)での2004シーズンにおけるチケットの値段はどれだけになっているかを比較すると、

    【ヤンキースタジアム】

     フィールド・チャンピオンシップ席(S・A指定席下段) $85-95(約\9,000〜\10,000)
     メイン・チャンピオンシップ席(A指定席上段) $70-80(約\7,410〜\8,470)
     メイン・ボックスシート・MVP席(S・A指定席上段) $60-70(約6,350〜\7,410)
     ボックスシート各種(B指定席) $40-55(約\4,234〜\5,821)
     タイアーシート各種(C指定席) $18-45(約\1,905〜\4,763)
     ブリーチャーズ(外野席) $8-10(約\847〜\1,058)

    【トロピカーナ・フィールド】

     ケインズ・クラブ席(バックネット裏、特等席) $175-225(約\18,522〜\23,814)
     フィールド・ボックス席(S・A指定席下段) $70-95(約7,410〜\10,000)
     下段クラブボックス席(S・A指定席中段) $40-60(約\4,234〜\6,350)
     下段ボックス席(S・A指定席上段、B指定席) $23-38(約\2,434〜\4,022)
     外野席 $10-20(約\1,058〜\2,117)
     予約席(C指定席) $3-15(約\318〜\1,588)

    (※いずれも2004.4.8東京マーケット終値の円・ドル為替レート、$1=\105.84で計算、分類で共通しないものは省略)

     となっていました。

     ちなみに今回のMLB開幕戦はタンパベイ・デヴィルレイズの持ちゲームとなっていたわけですが、トロピカーナ・フィールドのケインズクラブ席という特別な席を除けば、東京ドームの巨人戦のチケットでの最高値\5,900の1.7倍ほどの値段であるにせよ、MLBの公式戦だって、最高値\25,000という法外な値段はついていません。したがって、今回のMLB開幕戦のチケットの値段、果たして法外な値段なのか、それとも妥当な値段だったのか、私には判断がつきかねています。
     また、最も安い席の値段についても、いろいろと議論が分かれるところでありましょう。もちろん、フィールドにフェンスがあるかないかなどの問題もありますし、一概にどちらがどうとはいえないところがあるのですが、どうも私は、日本の野球ファンや松井ファンが、うまいことMLBの商売に利用されたのではないかという疑問と、居心地の悪さを覚えたのでした。

     みなさんはどう思われますでしょうか?ちなみに、4年前の2000年・am/pmMLB公式開幕戦、ニューヨーク・メッツ対シカゴ・カブスのチケットの値段は、以下のとおりでした。

    【2000年 am/pmMLB公式開幕戦 ニューヨーク・メッツ対シカゴ・カブス】

     S指定席 \12,000
     A指定席 \10,000
     B指定席  \6,000
     C指定席  \4,500
     外野指定席 \4,000

    【参考文献】

    YOMIURI ON-LINE '04リコーMLB開幕戦チケット情報
    F&C チケット予約代行 サッカーワールドカップ電話予約
    PRIDE GRAND PRIX 2004開幕戦 チケット情報(公式サイト)
    e-plus K-1 WORLD GRAND PRIX チケット先行予約(公式サイトよりリンク)
    TOKYO Dome City 巨人戦チケット情報
    同上HP 巨人戦情報・座席表
    F&C チケット予約代行 プロ野球日本シリーズ
    New York Yankees Tickets:General Ticketing Information
    Devil Rays Ticket Information



     NPBにおける受難の時代 アフリカ野球友の会特集 〜その1 野球は日本の文化か?〜 MB Da Kidd


     前回でイタリア・セリエA事情特集を一旦終了し、今回から、プロ野球選手を人的資産として考え、これを財務諸表に載せるという私の開発したアイデアを紹介し、日本のプロ野球だけでなく、ヨーロッパサッカーやアメリカ・メジャーリーグベースボールなどにも通用する新しいスポーツビジネスの手法を提案させていただこうかとも考えていたのですが、先にこのアフリカ野球友の会の件についてみなさまに紹介し、この鋭気あふれる会のみなさんの情熱をお伝えすることにいたしました。
     今日のイントロダクションを含め、読者のみなさんにはこれから数回にわたって、この会の運営スタッフのみなさんへのインタビューを含めた特集をお届けいたします。

     先日の日曜日、私は数年来の盟友であるリトルナポレオンさんに誘われ、同じく盟友の野球好きメタルマン、Nikki松本さんとともにこのアフリカ野球友の会の第1回会員総会に行ってまいりました。リトルナポレオンさんは野球界国際化計画、Nikki松本さんはRock'n Baseballの主宰であり、両者とも日本にいながらにして、日本人以外の友人が多いのは私と同じ。そして、いずれも、メジャーリーグ・ベースボールを中心に長年野球を見てきていて、野球の国際化に非常に関心があります。

     ですが、2/5にNPO法人として認定されたばかりのアフリカ野球友の会のスタッフのみなさんの情熱は、我々の上を行きます。代表の友成晋也さんは、自らがJICAの職員時代、まだ野球がほとんど普及していない頃から、伊藤忠商事から同じくガーナに派遣された社領さんとともに、地道に野球をガーナ国内で普及させてきました。
     もともとチームが、職業訓練のための交換留学でキューバに派遣された人たちを中心にひとつだけしかなかったのを、アクラ職業訓練学校を皮切りに、どんどんアマチュアスポーツとして、広めていったのです。

     この挑戦については、代表の友成さんの書かれた本に詳しく載っていますが、私は急いでこの本を読む中で、自分の個人的な体験を思い出しました。

     私が子供の頃、伊藤忠商事に在籍していた父の仕事の関係でブラジルに行き、そこで体験した草サッカーの話は、以前にこのぼーる通信のサッカー特集でも書きましたが、実は、当時の私にとっての『日本』の象徴であり、『日本』の香りがするスポーツといえば、野球だったのです。
     昔は私も、同年代の子供たちと同じく、王現福岡ダイエーホークス監督のファンで、部屋には王監督が756号のホームランを打った瞬間の写真のパネルが飾られていました。そして、黄色い子供用の木のバット、大人用と子供用の2つのグラヴを持っていました。
     大人用と子供用のグラヴを持っていたのは父とキャッチボールをするためでしたが、仕事に忙しく、夜にならないと家に帰ってこない父とキャッチボールをすることは、滅多にありませんでした。
     そこで私は、同じマンションに住む白人の同い年の友人と、黒人の友人の兄弟に、野球を教えてあげることにしました。

     ところが、実際に球場に行ったことがなく、テレビで試合を見たこともない私が野球を教えることは、とてもできませんでした。
     私は、小学館の小学生向け雑誌、『小学1年生』や『小学2年生』の特集に出ていた福本豊さんの記事や、王監督のバッティングフォームから想像して、キャッチボールとバッティングをやるしかなかったのです。

     しかし、友人たちは嬉々として球とたわむれていました。とにかく、白球をバットに当てること自体が楽しいらしいのです。もちろん、ちゃんとしたバッティングフォームなんてできないし、ボールを投げれば、あさっての方向へとボールは飛んで行きます。お互い、ボールを追いかけて走り回って、メチャクチャなフォームでバットに球を当てて(大半は空振りして)いただけですが、サッカーばかりやっているこの国で白球を追いかけるということ自体を楽しく感じたのは、事実です。

     この、友成さんが書かれた『アフリカと白球』には、上記の『白球を追いかける楽しみ』とともに、ブラジルと同様、サッカーが一番のメジャースポーツである国で野球を普及させていく苦労のプロセスが、非常にリズムよく書かれています。
     日本のプロ野球の世界で名を残した高橋慶彦さんとのやりとり、チームキャプテンのアルバート・ケイ・フリンポン(ケイケイ)さんとの2人3脚など、他人とホンネでガンガンぶつかっていって、その中で得られる宝物のような人生経験。異文化との遭遇と衝突だけではなく、日本国内での一般サラリーマンと個人事業主たるプロ野球選手との出会いと衝突までもがきちんと描かれていることに、私は非常に感銘を受けました。
     この本の帯にある、『体験!アンビリバボー』(フジテレビ)で取り上げられたこの活動に対するビートたけしさんの『渇いているヤツはこれを読め!』のコメントは、非常にしっくりと来ます。他人とホンネでガンガンぶつかっていって、そこから学ぶことは非常に大きいのです。

     では、次回からは、その貴重な体験をされた方々や、これをサポートされる方々へのインタビューを行い、この活動についてさらに読者のみなさんに紹介していきたいと思います。
     なお、アフリカ野球友の会のホームページは、こちらになります。

    【備考】『アフリカと白球』(友成晋也著・文芸社、税抜\1,200)の売上金は、すべてアフリカ野球友の会の活動資金に充てられます。志ある方は、よろしければこちらからの購入をお願い申し上げます。



     NPBにおける受難の時代 アフリカ野球友の会特集 〜その2 国際交流?〜 MB Da Kidd

     読者のみなさまこんばんは。いま私は、今日、4/29(木)の練習から帰り、ひととおり落ち着いてからこれを書いております。

     本日の練習は2回目でした。何かと仕事で忙しいアフリカ人のみなさん、なかなか集まっていただくのは難しいのですが、今日はとりあえず2名。そして、ミャンマーから来られた方やアメリカのハイスクールで野球をやっていた人も来て、ちょっとした国際交流の舞台となったのでした。
     そもそも代表の友成さんが国際交流のお手伝いをしてくださるJICAにお勤めなのですから、こうなるのが自然だったのでしょうか。

     場所は井の頭線浜田山駅付近にあります、三井記念グラウンドというなかなかいいグラウンドです。オフのときに野茂さんが使用したこともあり、そのときの写真が飾ってありました。

     ちなみに今日も、先日の4/17(日)の練習も、私が野球文化學曾の席で知り合った山内一弘さんにお願いし、おいでいただいたのですが、さすがは元日本一の打撃コーチ。一度打撃の話になると止まりません。具体的な動作を交えながら、『こうや。こうするやろ。そうしたらこうするんや』と実際の動作を交えながら、真っ直ぐにバットを振り出して説明すると、そこには人の輪ができ、また、かつての現役時代の山内さんを知っている方々は熱心にその様子をご覧になっている始末。私なぞは野球を観始めたのが高校生からですから、実は1980年代半ば、ドラゴンズ時代の山内監督も知らず、記憶にあるのは王→藤田政権の巨人のバッティングコーチとしての山内さんだけですから、ひたすらへー、はー、と眺めているだけなのでありました。

     しかも昨日の場合、特別に少年野球チームにも参加していただいたことから、山内さんの打撃指導にはますます熱が入り、まさに水を得た魚のようだったのでした。アフリカ人2人だけではなく、少年野球チームという教える対象が目の前にある。ここで山内さんの打撃への情熱と親切心が動かぬわけはない。木陰でアフリカ人のエリックさんをつかまえ、Nikki松本さんや私を通訳に滔々と打撃論を展開したあと、アフリカ人の2人の練習が終わってからさらに小1時間、少年野球チームのみなさんに、熱心に打撃論を身振り手振り交えて教え込んでいたのでした。
     球界の伝説の方に教えていただいたのですから、きっとアフリカ人のみなさんにだけでなく、少年のみなさんにとっても記憶に残る一日となったことでしょう。

     さて話はアフリカ人のみなさんを中心とした練習へと戻るのですが、こちらは非常に楽しい練習となりました。少年たちがバックで守り、アフリカ人やミャンマー人が打席に立つ。そして、塁に出た彼らを、アメリカ人スラッガー、ニック・パトリックが返す。そんな中でアフリカ人やミャンマー人は自然にルールを覚えて行き、次第に野球の感覚が身についていくのです。
     また私自身も本メールマガジンで配信しているトニー・グウィンの『バッティングの芸術』を翻訳した経験を活かし、彼らに山内さんの言葉を通訳していく中で、日本語だけでなく、英語で打撃論を語るための感覚が、実践的に身についていくのでした。こちらとしても学ぶことは非常に多く、実に実りある一日となりました。

     最後におまけ。私は山内さんが少年たちに野球を教えている傍らで、ニックに打撃指導を受けましたが、感覚的な話が大分よくわかりました。たとえばいままで野球中継の解説で各解説者がしゃべっていた身体のバランスの話は、サッカー畑出身である私の感覚ではうまく理解できないものだったのですが、ニックの話は非常にわかりやすかった。それはなぜなのか?今後この活動の中で答を見つけていきたい。そう思っております。

     ちょっとした国際交流が楽しい4/29だったのでした。



     NPBにおける受難の時代 アフリカ野球友の会特集 〜その3 esogie〜 MB Da Kidd

     アフリカ野球友の会は、ウガンダから野球少年少女を呼ぶ企画、ウガンダ・プロジェクトを成功裏に終わらせたあと(7月、千葉マリンスタジアムにて募金してくださった方々、ありがとうございました)、練習を2回連続、雨で流してしまいました。そこで今回は、このアフリカン・オールスターチームの話はしないで、その一員である、ラッキー・イソウェさんがマスターをやっているバー、エソギエの話をしたいと思います。

     エソギエは、地下鉄の新宿三丁目駅近くにあります。こちらのマップではそれが書いていないのですが、ビッグス側出口より地上に出て、横断歩道を渡り、歩いて2分の小さなビルの3階に、これはあります。

     ラッキーさんは日本語が非常に達者で、私個人の感想からいえば、ナイジェリア人であるにもかかわらず、英語よりも日本語の方がうまいじゃないかと思えるぐらいの実力があります。奥さんはまだ若い日本人です。人柄が非常によくて、穏やかな、アフリカ人のみなさんに共通したところをお持ちですが、なかなか芯が強い、しっかりした方でもあります。

     私は新宿まで夜中にぶらっと行くことが多いので、そのときには必ず、このエソギエに寄ります。夜の7時から朝の4時までやっているので、歌舞伎町のオスローというバッティングセンターに真夜中に行った帰り、そちらに寄っても、まだ開いているのです。そして、いつもグアバジュースを注文し、テイクアウトでスヤというナイジェリア家庭料理を持ち帰ります。

     スヤというのは、羊肉を焼いたものに独特のスパイスをまぶし、ナマの赤たまねぎを混ぜ合わせたものです。ガスで焼いた羊肉の旨味とスパイスが心地よく溶け合い、羊肉の熱でナマだった赤タマネギが生煮えになる。すると適度に柔らかくなって、イヤミのないコリコリ感が出てくるのです。先週、私の大学時代のロックバンド仲間をエソギエに連れて行ったら、口を揃えておいしいと言っておりました。

     そのほかにも、ナイジェリアの家庭料理を中心に、いろいろな料理を出してくれます。料理のリストはこちら

     私が個人的に食べたいなといつも思いながら、テイクアウトできないためにあきらめているのがプランテーンとオクラのフィッシュシチューで、これは、ブラジルのカルルーという料理によく似ています。ブラジルの料理、特に、私がいた古都サルヴァドールの料理は、アフリカから黒人奴隷をつれてきたときの玄関口になっていたこともあり、アフリカをルーツにしたものがたくさんあって、カルルーのようなサルヴァドール料理もそのひとつなのです。

     お酒についても、ギネスビアーの強烈なやつがあったり、各種カクテル等も充実したりしています。毎週日曜日はお休みですが、最終の日曜日だけは、アフリカの同胞のみなさんのためだけに店を開けるそうです。

     店内は、アフリカン・ハイ・ライフというビートのかかったサウンドに満ち溢れており、ちょっとした異国情緒を味わうには最高の店です。もともとラッキーさんのいるバーだからということで尋ねたエソギエですが、いまは私自身、すっかり気に入ってしまいました。


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